「新入社員が使えない」の愚痴が今も昔も続く訳 世代論はどんな指摘もだれかに当てはまる
というわけで、戦前から新入社員の歴史を長々と振り返ってきましたが、ここでようやく、元祖さとり世代の1972年組へとつながります(有名人では風間杜夫さん、武田鉄矢さん)。
甘ったれ、幼児化、未熟児、外国人などの悪評がかまびすしいなか、「さとってる」という声もありました。これは大人びて落ち着いているという評価なので、幼児化という評価とは対極にあります。矛盾していますけど、世代論なんてのは、大勢の人間をひとくくりにするのだから、そんなもんです。
このあと1978年に昭和30年生まれの社員が入ってくると、「無気力・無関心・無責任の三無主義」「いやいや、それに無感動・無教養・無学力・無行動・無協力を加えて八無世代だ」と、若者劣化論はとめどなくエスカレート(有名人では内藤剛志さん、明石家さんまさん)。1980年代に「新人類」という呼称が生まれたところで、昭和という時代が幕を下ろしたのでした。
世代論はいかがわしい演繹法の見本
いま、ゆとり世代に向けられている、タメ口、ガマンできない、すぐ辞めるなどといった悪口は、戦前にサラリーマンが登場して以来、新人がずっといわれ続けてきたことでした。考えればあたりまえのことなんですが、いつの時代も、新人はナマイキで仕事ができないんですよ。それがだんだんできるようになる人もいて、できない人もいる。
世代論を論じる人は、自身の世代をなんの根拠もなく基準として設定し、自分より下の世代と上の世代がいかに自分と違うかを列挙して、自分の世代が「まとも」で「正しい」ことを証明したつもりになっているだけ。いつの時代にもいろんなタイプの若者がいるのだから、どんな指摘もつねにだれかに当てはまります。世代論はいかがわしい演繹法の見本です。
1967年に刊行された尾崎盛光の『日本就職史』は明治・大正・昭和の大卒就職事情をまとめていて、非常に史料的価値の高い本です。ここでも大正時代から若者劣化論が唱えられていたことが暴露されていまして、尾崎が皮肉屋の本領を発揮しています。最後にこれを引用して、新人サラリーマンたちへのエールといたしましょう。
識者にいわせると、人間というやつはだんだんぜいたくになり、かつ小型になっていくものらしい。…………ちかごろの若い者はぜいたくになった、軟弱になった、……小型になった、とおっしゃる先輩方は、そうおっしゃることによって、おれは質実剛健で男性的で、大型、大物であった、ということをおっしゃりたいのが腹のうち、と思えばよろしい。
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