親が楽しそうにしていることに、子は興味を持つ
アメリカから帰国後の暮らしは、至って普通だった。父はサラリーマン、母は主婦、僕は地元の幼稚園に行き、その後は地元の公立小学校に通った。著書に書いたように、この頃に父が天体望遠鏡を買ってくれた。
いや、買ってくれたというより、本当は自分が欲しかっただけで、母の財布のヒモを緩めるために僕をダシに使ったというほうが正しいだろう。なにはともあれ、父が楽しそうに望遠鏡をのぞく姿を見て、僕も宇宙への興味を抱くようになったのである。
子は親の鏡だ。親が楽しそうにしていることに、子は興味を持つ。親が一生懸命になっていることに、子も夢中になる。週末に親がゲームに夢中になっていれば子もゲーム好きになるだろうし、マンガ好きの親からはマンガ好きの子が育つだろう。
僕は彼女との長電話で親にガミガミ言われた覚えはあるが、勉強しろとガミガミ言われた覚えはない。字が汚すぎたために書道教室にぶち込まれはしたが(2年で挫折した)、どこの大学を目指せと言われたことは一度もなかった。だが、親が勉強している姿ならば、日常的に見ていた。
たとえば僕が中学の頃だったか、父が「技術士」という資格を取った。技術コンサルタントになるための資格で、その試験は大変に厳しい。父も1度は落ち、2年目で取った。
その頃の数年間、父は週末に本気で試験勉強をしていた。「だから自分も勉強を頑張ろう」などと思うほど僕は素直な子ではなかったが、無意識的な影響はあったと思う。少なくとも、自分は家でゴロゴロしているくせに子どもには口先で「勉強しろ」と怒鳴るような親だったら、僕は決して勉強を頑張ろうとは思わなかっただろう。
父方の祖父も勉強熱心な人だった。彼は金沢大学の教授だったのだが、引退し、80歳を過ぎても、ワープロを習得して論文を書いていた。90歳を過ぎても独学でフランス語を勉強していた。彼は文字どおり死ぬ直前まで勉強をしていた。そして木から葉が落ちるように、静かに亡くなった。
理系にこそ必要な「国語力」、どうやって身に付けた?
僕は著書で1章を割いて「国語力」の大切さを説いた。実は理系の人こそ国語力が大きくモノを言う。そして国語力を養うためには読書が必要不可欠だとも書いた。
僕が読書を好きになったのは、大阪に住んでいた母方の祖父の影響だろうと思う。いかにも昔の日本人という外見で、玄武岩のようにいかつい顔と声をしていた。母と叔父には火山のように恐かったらしいが、孫にはデレデレに甘かった。僕を膝に抱いて野球中継を見せ、六甲おろしを歌わせたために、物心ついたときには阪神ファンになっていた。
彼は読書家で、とりわけ歴史小説を好んで読んだ。中学になると、祖父は読み終えた本をたくさん僕にくれるようになった。今も記憶に残っているのが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』と、山崎豊子の『大地の子』『二つの祖国』である。大学の頃にもらった吉川英治の『三国志』は特に面白く、アメリカに引っ越す際にも持っていった(村山実の『輝け!阪神タイガース』などという本もよこしてきたが、こちらはアメリカに持ってきてない)。
僕が小説を書くようになったのも、祖父の影響かもしれない。彼はアマチュア文筆家で、川柳や短歌を書きためたノートを何冊も持っていた。
祖父が亡くなったあと、原稿用紙33枚に丁寧に清書された『我が二等兵物語』という戦争体験記が出てきた。学徒出陣後の訓練の日々をユーモラスに活写した名文だ。彼はとても大らかな性格で、重たい現実も、消化して笑いに変えてしまうたくましさがあった。僕のブログに転載してあるので、ぜひご覧になられたい。
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