MIT理系エリートが育った家庭環境とは? 最良の教育は親が楽しむこと、「楽しそう」だから子は興味を持つ

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ペンネームのセンスまでよく似た兄妹

今回の著書を語るうえで欠かせないのが、表紙と本文の脱力系イラストを描いてくれた、「ちく和ぶこんぶ」こと実の妹である。ペンネームのセンスが悪いと彼女に言ったら、「靴紐むすぶ」よりはマシだと言い返された。「靴紐むすぶ」とは僕が小説を書くときに使っていたペンネームなのだが、織田作之助賞を受賞したときに「作品にふさわしくない」とボツられてお蔵入りしたものである。

(編集者の方が「ペンネームのセンスまでよく似た兄妹」と見出しをつけてくれたが、これには僕も妹もまったく同意できない。)

そのチクワブちゃんは僕が5歳になる少し前にオギャーと生まれた。手のかかる子で、爆弾のように泣き、一度泣き出したら声がガラガラになるまで泣き続けた。とはいえ歳が離れている妹なので可愛く、よく一緒に遊んだものだった。父の溺愛っぷりはすさまじかった。

小学校の頃は普通の女の子だったが、中学校に上がる頃になると、徐々に変人・毒舌・イラストの才能を発現し始めた。変人遺伝子は父から、毒舌遺伝子は母からであるのは明らかであるが(ただしそうとうに濃縮されて遺伝した)、絵の才能は突然変異だ。

そんなわけで、彼女は僕の著書に11枚ものイラストを描いてくれた。時々シュールなのは、前述のとおり若干普通ではない性格のせいなので、ご容赦いただきたい。身内なので、遠慮せず、美化もせずに描いてくれたのがよかった。遠慮なく父の頭もピカピカに描いてくれたのだが、「こんなにハゲてない」と本人はたいそうご立腹である。

 

(イラスト:ちく和ぶこんぶ)

 

親も当然、歳をとる。両親の入院

子が30歳になれば、親もそれだけ歳を取る。エアコンなしのボロ車でアメリカ中を走り回っていた若夫婦も、還暦を過ぎた老夫婦になる。頭ではわかっている。でも、こんなに早く、両親にこんなことが起きるとは、思いもしなかった。

まずは父親だった。僕が慶應義塾大学に勤めていた頃、大腸がんが見つかった。早期発見ではなかったが、幸いにも手遅れではなく、手術をすれば治せるものだった。そうはいっても転移の可能性は残る。難しい手術ではないにしても不安はある。本人がいちばん不安だっただろう。母は毎日病院に通い、父を励ました。

手術の日、僕は海外出張中だった。母に国際電話をかけたら、手術は無事に終わったよと教えてくれて、胸をなで下ろした。それどころか、「ホタテの貝柱みたいのが取れたのよ~」などと趣味の悪い冗談を飛ばすものだから、僕はすっかり安心し、用務を済ませて、帰国の途に着いた。

ところが、成田空港に着いて携帯電話の電源を入れると、妹から急を知らせるメールが届いていた。母が骨折し救急車で運ばれて入院した、と。父を見舞いに行く途中、雨で濡れた地下鉄の階段を踏み外し、派手に転んだらしい。

ミイラ取りがミイラになった……などと冗談を言っている場合ではなく、大腿骨頚部骨折といって、太ももの骨が骨盤につながっている部分が折れてしまう、厄介なものだった。

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