年の瀬に思う日本の「医療観と安楽死」の是非 ALS患者女性の嘱託殺人事件を患者学で考える

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例えば、アメリカのブリタニー・メイナードさんは、2014年に悪性脳腫瘍と診断され、4月にはあと半年の余命と宣告され、アメリカ内で尊厳死が認められているオレゴン州に移住。11月に医師の幇助による自殺で亡くなられた。

死亡宣告後亡くなるまでの様子が、YouTube上に公開され続けたために大きな話題となった。この事件はわが国でも報道され尊厳死という言葉が頻繁に使われたが、わが国での尊厳死という言葉を混乱させることになった。

わが国では一般的に消極的安楽死を尊厳死と呼び、アメリカでは積極的安楽死も含めて尊厳死と呼んでいる。尊厳死という言葉は、文字どおりに解釈すれば、「患者のいのちの尊厳を重んじて迎える死」であり、これに対して反対意見を唱えるものはいない。しかし、尊厳死という言葉は耳障りがよいために利用されやすく、使う人によって定義が異なってくるのだ。

わが国でも、尊厳死法の成立を目指す活動が古くから続いている。1976年に成立を目指す日本安楽死協会が医師であり国会議員でもあった太田典礼氏らにより創設された。

1981年には積極的安楽死は含めないとして、1983年に日本尊厳死協会に会名を変更した。同協会は消極的安楽死を尊厳死と呼ぶこととし、現在も延命行為の中止を合法化する「尊厳死法案」の成立を目指して活動している。ちなみに、人工呼吸器や人工透析を中止することは、その行為によりすぐに死に至るが消極的安楽死に分類される。

初代理事長の太田典礼氏の発言録に、次のような言葉が残されている。

「ひどい老人ボケなど明らかに意思能力を失っているものも少なくないが、どの程度ボケたら人間扱いしなくてよいか、線を引くのは難しいし、これは精神薄弱者やひどい精神病者にもいえることですが、難しいからといって放っておいてよいものでしょうか。

(中略)この半人間の実態はどこまでもあいまいなままになされているが、是非明らかにしてもらいたいものです。人間の形だけしておれば人間なのか、そのためまともな人権が侵害されることになるのをどう考えるのか、どちらの人権が尊重されるべきか、もっと公平に論じて対策を立てるべきではないでしょうか」

尊厳死と安楽死は異なる概念

現在の日本尊厳死協会は今回の医師による嘱託殺人事件に対して、ホームページ(HP)上に、次のような見解を表している。

「尊厳死と安楽死は異なる概念であるということです。多くのメデイアや有識者が両者を混同して報じられています。今後の議論を深めるうえで、2つの言葉をはっきりと区別して使っていただくことをお願いします。協会はリビングウイルに基づいて延命治療を差し控え、十分な緩和ケアを施されて自然に迎える死を尊厳死と定義しています。

それに対し、安楽死は積極的に生を絶つ行為の結果としての死で、日本では安楽死は一般的に認められておらず、自殺幇助(ほうじょ)は犯罪です。報道されている情報のみで、今回の医師が行った処置の詳細が不明ですが、医行為としては社会的規範を逸脱しており、医師の倫理規定違反は明白で、到底容認できるものではありません」

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