戦国時代に武将が食べていた「まずい飯」の正体 歴史小説家が資料をもとに当時の食事を再現

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結局、計12時間ほどついたところで手を止めた。別に精米が完ぺきにできたわけではない。肩と肘の限界が来たのだ。しかし、洗ってみると、案外、皮が取れていた。7分づきくらいはいっているだろうか。胚乳は白というより灰色に近い。

イエズス会の宣教師、ジョアン・ロドリゲス・ツウズが書き記した『日本教会史』によると、当時の赤米もついても白くならず、色は灰色だったそうである。

5分づきのものを炊いた時よりも、長めに吸水時間を取り水も増やしてみた。炊きあがりは5分づきのものよりは若干色が白いようでもある。シャモジですくった感じもふっくらしている。

一口食べてみて驚く。水分をしっかり含んで、ちゃんと甘いのである。もちろんコシヒカリと比べたら大分劣るが、十分食べられる。おかずに大根のぬか漬けも並べてみた。相性ばっちりというわけにはいかなかったが、5分づきの時と比べたら、まぁまずまずである。

開発の尖兵だった大唐米

考えてみれば、大唐米も働き者の米である。なぜなら、大唐米は日本の歴史のなかで、長らく開発の尖兵として扱われてきたからだ。新規耕地開拓の際、水田でしか育たない晩稲の白米に先立って、畑にまかれるのである。そして、水田ができるまで、開拓民の腹を満たし、その命を養う役割を担った。

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戦国末期から江戸初期は、戦を終えた大名たちが、日本全土で新田開発に励んだ時代でもあった。赤米は、新たな国土の創造のために働きに働き、役目が終わると、雑草同然の扱いを受けながら、静かに歴史から消え去った。

その姿は何かに似ていないだろうか? そう、戦国時代の雑兵たちである。見た目が武骨で、生命力は強靭、艱難辛苦に耐えて、新たな時代のために命を的にして闘い、平和への埋め草となって消えていった人々。

彼らの姿に、赤米の姿が重なる。黄慎の「殆ど下咽に耐えず」という言葉は、彼らがそれでも飲み下さなくてはならなかった運命のことを指しているのかもしれない。いつの間にか、赤米も食べ終えていた。「ごちそうさま、そしてご苦労様でした」そう心からつぶやきながら、赤米とそれを食べた雑兵たちに、手を合わせた。

黒澤 はゆま 歴史小説家

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くろさわ はゆま / Kurosawa Hayuma

1979年、宮崎県生まれ。歴史小説家。会社員の傍ら、小説教室「玄月の窟」で修業し、『劉邦の宦官』(双葉社)にて小説家デビュー。著書に『九度山秘録』(河出書房新社)などがある。

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