戦国時代に武将が食べていた「まずい飯」の正体 歴史小説家が資料をもとに当時の食事を再現
また、唐干、唐法師、メラゴメとも、今の日本の稲より株や葉がすらりとして、発芽、成長、収穫ともに早いが、風には弱く、脱粒もしやすい。穂が出る頃から株が倒れやすくなるので、互いに支え合うように苗を密に、株間5センチメートル以下で植えるのが栽培のコツということだった。
その特徴は、大唐米についてのさまざまな記録と一致していた。江戸時代、元禄10年(1697)に出版された『本朝食鑑』の記事も紹介する。
「繁茂して早く熟す」とか、「風にあえば墜ち易く」などは、ケップルス氏の証言を裏付ける。私は確信した。これだ。これこそが、戦国時代、雑兵たちが食べた赤米、大唐米なのだ。
まずは5分づきから挑戦
最初に試したのは、5分づき(玄米を完全に精白せず、半分ほどついた状態)米の方だった。水で洗うと、籾殻がたくさん浮くので、丁寧に取り除く。
ケップルス氏によれば、水を多めにした方がよいということなので、普通米と比べて、1.2倍ほどの分量の水で炊いてみた。炊飯中、におうかなと思ったが、別にそんなことはなく、むしろお菓子のような甘い香りがした。
写真が炊きあがりで、確かに炊き増えするようだが、『本朝食鑑』の2倍はオーバーな表現のようだった。気になるのが、ジャーを開けた際、湯気がまったくあがらないことだ。
シャモジですくうとシュワシュワと音がして、パラパラこぼれる。これでは、おにぎりにするのも、無理なようだった。形が崩れ気味でくるりと丸まったようなものもあり、光沢もあまりない。
ぱっと見、おいしくなさそうに思えるが、気を取り直して実食してみる。……味は別に、飲み下せないほどではない。ただ、淡白で、食感がもそもそしている。口のなかの水分をどんどん吸い取られる感じ。おいしくないというより、つまらないと言うほうが正しい気がする。
茶碗に半分くらい食べたところで飽きてしまい、少し時間を置くことにした。戦国時代は、朝に一度炊いたものを、昼、夜と分けて食べることの方が一般的だったのである。半日ほどたった後、もう一度食する。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら