トーク番組から「ワクワク感」が消えた納得理由 「炎上」が及ぼす芸能タレントへの深刻な悪影響

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①このテーマは、コメンテーターが得意なジャンルであるかどうか
②このテーマは、何が飛び出すかわからないワクワクがあるかどうか
③このテーマは、コメンテーターが過去にも話していて盛り上がった“実績”があるかどうか

筆者が重視してきたのは①と②である。③は無視するわけではないが、あくまでも過去は過去でその時々の嗜好が大切だと考えている。加えて「一度話したことは余程のことがない限り、さほど夢中になって話さない」という経験に基づいた持論もある。ドキュメンタリー要素を標榜とするなら、そうすべきは必然だろう。

しかし、昨今のディレクターや構成作家の多くは、筆者の見る限り、①と③を基準にテーマを選ぶ傾向にある。彼らが有用するのやはりスマートフォンであり、念頭にあるのは「炎上させたくない」という責任感だけかもしれない。

「スマホの検索結果」だけを頼ったディレクター

以前こんなことがあった。

昨年3月に、妻、樹木希林の後を追うように、ロック歌手の内田裕也が他界したときのことである。

筆者には「この文化人コメンテーターが、永遠のロッカーと何かしら関係があるのでは……いや、なくても、コメンテーターの口から彼の人生を総括してほしい」という想いがあった。何か面白そうなエピソードが聞けそうな気もした。視聴者も「内田裕也の死」とこの文化人の意外なコラボレーションには、いささかなりとも関心を抱くのでは。──根拠はなかったが、長年の経験からこういう予感は大概当たる。そこでこの訃報をトークテーマに入れようと提案した。

しかし、「いやあ、特にこれといった関係もないみたいですし」と30代の担当ディレクターはスマホの検索結果だけを述べ、「どうせ興味もないでしょう」と、にべもなく却下した。

翌日のことである。別のラジオ番組に出演していたそのコメンテーターが、内田裕也との想い出を意外な挿話を含めて語っていた。それも涙ながらにである。さらに、そのコメントはヤフーニュースにもなっていた。

これまでのテレビ業界なら嫌でも「ワクワク」を働かせる必要性に駆られてはきたが、今やその用途はさほど必要とされず、ひたすら波風を立たせないことが急務となるという、テレビの現場の限界である。結果、スマホの検索エンジンにだけ依存され、似たようなテーマばかりが、幾度となく繰り返され、聞いたような話ばかりが垂れ流されることになる。

もちろんこれも、それぞれの才能に起因する個人差のあることに違いないが、作り手の視野狭窄は放送業界に横臥する深刻な問題である。これがトーク番組の制作現場の現状と言っていい。

本来、トーク番組が有していたドキュメンタリー要素が、YouTubeにその座を譲るようになって久しい。それが時代の趨勢であり、必然ですらあるとするなら、テレビのトーク番組はもはや、その役割を終えたと言っていいのかもしれない。                

細田 昌志 ノンフィクション作家

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71年生まれ、鳥取県出身。CS放送「サムライTV」でキャスターをつとめたのち放送作家に転身。ラジオ、テレビなどを担当する一方、雑誌やウェブに寄稿。2020年より著述専業に。主な著書は『坂本龍馬はいなかった』(彩図社)、「ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか」(イースト新書)。2020年秋、長篇ノンフィクション『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)を上梓。

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