トーク番組から「ワクワク感」が消えた納得理由 「炎上」が及ぼす芸能タレントへの深刻な悪影響

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そしてこの問題は、朝のワイドショーのみならず、すべての生放送のトーク番組に波及しているのは言うまでもない。炎上が怖くて本音で話せない生のトークに存在意義はあるのか。そうでなくても、かつて隆盛を誇ったテレビのトーク番組の数字は、相対的に低下傾向にあるのだ。

いや、トーク番組の需要の低下は、はたして炎上だけが理由だろうか。そうとは言い切れない気もする。トーク番組とは切り離せないはずの「ドキュメンタリー要素」を基軸に、別の理由も探ってみるべきではないか。

そもそも、トーク番組とは一体なんなのだろう。

長年いくつかのトーク番組に携わってきた筆者は、その構造について、なんとなくではあるが理解しているつもりでいる。

タレントや文化人が、何かしらのテーマを与えられ、自身の考えを虚心坦懐に述べる。編集のない生放送なら、なおのこと直に接する印象を与える。視聴者は彼らの所感に接し、感心したり、共感を寄せる。それが番組の売りであり、そんな中から今までにないキャラクターが登場してきた。

例えば、無名のコラムニストだったマツコ・デラックスが一躍テレビの主役に躍り出たのも、出演したトーク番組において、自身の異色のキャラクターとポテンシャルの高さを大いにアピールできたからである。

同様に、二番手クラスのベテラン俳優だった坂上忍が、今や帯番組のMCを堂々と務めるまでに至った経緯も、トーク番組の出演を奇貨として、自身の特異性を含む知られざる一面を視聴者や業界関係者に知らしめたからにほかならない。

視聴者の属性は3つに分かれる

これら2つの事例こそが、本来トーク番組が持つ、想定外のドキュメンタリー要素の展開にして醍醐味である。だからこその僥倖だったと見ていい。

特別豪華なセットも、ロケーションも必要としないため余計な経費がかからないのも、“トーク番組特需”を後押ししてきた。結果、その飽和状態を危惧する声がつとに聞かれるようになった頃に、前述の炎上案件が問題視されるようになったのである。

「そして、コメンテーターの発言から本音が消えて、ドキュメンタリー要素が薄まったことで、番組の求心力が低下した」――というのが、筆者の聞く限り、多くのテレビ関係者の導き出した検証結果である。

しかし、それは端折りすぎなきらいがないでもない。そんな短絡的な問題だろうか。

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