「SDGsで危機は脱せない」"緑の資本主義"の欠陥 失敗したらやり直せない地点に近づいている
斎藤:気候変動対策を求める声が高まるなかで、資本主義はグリーン・ニューディールやSDGsといった「緑の資本主義」路線を追求する以外に、もはや選択肢はなくなりつつあります。事実、コロナ禍によって生じた経済危機と深まるばかりの気候危機によって、今後、新自由主義の反緊縮政策や市場原理主義は、妥当性を失っていくでしょう。
だから、資本は新自由主義の危機を、新しい「緑の資本主義」に転換するチャンスに変えようとしています。つまり、これまでの古い産業を一掃しつつ、国家からの財政支援も受けながら、緑の経済に向けた大型投資を狙うわけです。再生可能エネルギー、電気自動車、IoTなど、社会的インフラの大転換・大改造が要請されることになります。
そこには、先進国の企業が、この間空洞化してきた国内の実体経済を再活性化しながら、利潤追求を行う余地が生まれているのです。
レアアースが徹底的に掘りつくされる
斎藤:こうした「緑の資本主義」路線を、多くの人が望ましいと感じるでしょう。けれども、この大転換を資本主義の論理に従って、経済規模を拡張させながら行うとどうなるでしょうか。自動車をすべて電気自動車にして、あらゆるモノをインターネットにつなぐ。電力やエネルギー消費量は倍増するでしょう。
それをすべて再生可能エネルギーやバイオマスでまかなうのでしょうか。再生可能エネルギーのコストも大幅に下がっているし、先進国に限って言えば、不可能ではないのかもしれません。けれども、その結果、リチウムに代表されるレアアースは徹底的に掘りつくされることになります。
ここで、レアアースが南米やアフリカに集中している事実を思い出しましょう。結局、気候変動対策として先進国がリチウムイオン電池を用いるようになったところで、石油かリチウムかの違いがあるだけで、限りある資源を第三世界から搾取・収奪している構造自体に変化はないのです。
もちろんリチウム採掘を行っている企業も、リチウム生産によって何が起こっているか知っています。しかし、彼らは涼しい顔をして、SDGsをイノベーションで推進するなどと吹聴しているのです。
私がSDGsやグリーン・ニューディールに警鐘を鳴らすのは、それらの言葉がわざと曖昧に使われており、その結果、資本主義の経済成長を優先する集団に容易に乗っ取られて、中身が骨抜きにされてしまうリスクが高いからです。
けれども、もしこの路線で失敗したら、やり直すことはできません。ポイント・オブ・ノーリターン、にいたるまでの時間は限られています。だからこそ、批判的な議論も必要です。