「女友達といるのが好き!」「女友達がたくさんいる」と普通に言える人が本当はとてもうらやましく、まぶしく見えていたんですよね。だって、そう言えるってことは、彼女たちが、複雑で難易度の高い人間関係の中を、見事に生き抜いてきた、ってことなワケじゃないですか。私なんて、そういう意味では失敗の連続で、片手で足りる人間関係しか築けず、言い訳ばかりしていたタイプなのです。
女の友情ほど、難易度の高いものはない
私はこれまで、たくさんの女性をマネジメントしてきて、話もしてきましたが、幼稚園、小学校、中学校……と時代に合わせて女友達がいる女性で、「嫌なヤツ」はあまり見たことがありません。彼女たちと話していると、コミュニケーション能力も気配り力も抜群で、女性を語るときに言われがちな、裏表とか計算高さも感じられなくて、「だから友達が多いんだよなぁ」と妙にナットクしてしまいます。
そんな中でも、私がいちばん尊敬の念を抱いてしまうのは、ずっと女子校で過ごしてきて、見た目も美人なのに、女友達が多い人。外から見ていると、すごく難易度の高そうな環境で、嫉妬されやすい要素をいっぱい持ちながら、同性から嫌われずにやってこれたなんて、まさに偉業です。私は今でも、そのプロフィールだけで、「うむ、この子はできるやつだな」と認定してしまいそうになってしまいます。
それに比べて、私も含めて女友達が少ない人は、やはり人間関係に不器用な人が多い気がします。複雑な人間関係の中で、「やっちまった」という失敗をして後悔しているのに、そこから逃げてしまった、うまく友情を修復したりキープしたりすることができなかった、苦い経験を持っていることも多いと思います。
こういう経験が、コンプレックスになっていて、女性同士の人間関係につい身構えてしまう。コンプレックスになっていることを認めるより、「女っぽい友情は苦手」ということにしてしまったほうが楽ちんです。そして、異次元の男同士の友情にちょっと交ぜてもらって、さらに女同士の友情から遠ざかる。男友達に「お前はこの輪にいても違和感がない。オンナじゃないみたいだ」なんて言われると、褒め言葉のように感じられて、うれしくなってしまうことさえあります。「女って面倒くさいよねぇ」なんて一緒に悪口を言ってみたりして。
女性は感受性の強い人が多いですから、個人対個人の関係だけでなく、団体の中でのそれぞれの立ち位置だとか役割だとかを、ちゃんと正しく読み取り、自分も自覚的にふるまわなければ、と強く思いすぎてしまうところがあるように思います。幼い頃に人気のある人、強い人から嫌われたくない、ひとりぼっちでいる嫌われ者と思われたくない、という心理が強く働き、「好かれているか」がいちばんの関心事になってしまって、自分じゃない誰かを演じていたといった記憶がある人も多いのではないでしょうか。
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