独立直後にがん、笠井アナ支えた「逆転の発想」 東日本大震災で得た経験が闘病に役立った
すると、楽屋から出てきた小倉さんが、
「笠井くんはいいよな。こんなにみんな来てくれて。俺ががんの時なんか誰も来てくれなかったよ」
と、さみしそうにわざとボヤくので、楽屋前は再び笑いに包まれました。
そう、悲劇の主人公を気取っていてはいけません。平常心で自分の病状と心境を視聴者の皆さんに届けよう、そう思いました。15~20分にわたり自分のことだけを自分の言葉で「生」でしゃべるなど、通常アナウンサーにはないことなのです。
妙に落ち着いている自分がいた
時計の針が8時を回り、一世一代の生放送の時間となりました。
「笠井君がフジテレビを辞めるといってスタジオで送り出したのが2か月前のこと、こんなに早く戻って来るなんて思わなかったよ!」
小倉さんらしい物言いで、私のコーナーが始まりました。なぜかわかりませんが、妙に落ち着いている自分がいました。だいたいの話の流れは思い描いていましたが、原稿などは書きませんでした。なのに、するすると言葉が出てくるのです。ここまで、自分は相当な体験をしてきたんだなと話しながらわかりました。
がんと向き合うということは、命と向き合うこと。人生でそうそうない経験をしてしまった。悪性リンパ腫と判明するまでの4か月間は、ちょうど会社を辞める2か月前から2か月後にかけて一番大変なとき。とてつもない濃密な時間を過ごしてきたからこそ、確かな自分の言葉を繰り出すことができたのでしょう。
番組は小倉さんとの対談のようになり、
「全身にがんが散らばっていると聞いた時にはめまいがしました」
「生存率は7割ぐらいと言われました」
いろいろな話をしました。
そして、この辺りで私のコーナーも終わりという雰囲気になったところで私は思い切って小倉さんに切り出しました。
「最後にお時間まだいいですか?」
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