東大、外資コンサルを経て、農家になった男 【キャリア相談 特別対談】 塩野誠氏×木村敏晴氏(上)

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いったん給与を下げると楽になる

塩野:どうやってそこまで行き着いたのですか。

木村:まずワタミの農業法人であるワタミファームに「農業をやらせてください」とお願いしました。それほど大きな会社じゃないので、農業法人の社長が出てこられて、「君、変わってるね」ということで、トップの渡邉さんとの面接になりました。渡邉さんは一代で売上高1000億円以上の会社をつくったすごい創業者ですから、そういう方にお会いするとなると、元コンサルの血も騒ぐ。申し上げることを準備して行ったら、「来週から社長のカバン持ちをしなさい」ということになりました。

塩野:面接でプレゼンしたのですか。「御社の経営について」とか。

木村:そんな感じです。「この会社はすばらしいけれど、渡邊さんが引退してもスムーズに回るように準備するには、こういうことが有効ではないですか?」とか「現状、居酒屋『和民(わたみ)』に、自社農場で作った有機野菜を食べに来るお客さんがあまり居るとは思えない。ビジネスモデルをゼロベースで考え直して、目指す方向性ハッキリしたほうがいいですよね。選択肢はこの4つぐらいでしょうか」などと進言しました。

塩野:当時まだ30歳なのに、剛腕社長と類される人に会いに行って、プレゼンしたわけですね。

木村:空気の読めない新卒コンサルそのままに行ったので、最初は緊張しませんでした。ただ、それまでの僕の経験だと、ふつうは「御社のここが課題だ」みたいな話を青二才がすると、ムムっていう反応がくるのが普通です。そうすると僕は「勝った」と思うのですが(笑)、それが渡邉さんのときはまったくなかった。さっさと顔色ひとつ変えずに、「じゃあ具体的にどうしたらいい?」というところに議論がどんどん進んだ。これは手ごわいと思って、途中から緊張しました。

塩野:それで本当にカバン持ちが始まったのですか。

木村:そうですね。「明日から来い」「わかりました」的な感じで、給与の話もなく決めました。

――給与はどのぐらい下がったのですか?

木村:給料は転職当初は5分の1以下になりました。後に上げていただきましたが。

塩野:1回給料を下げると、その後はおカネに縛られなくなるので楽ですよね。でも、そこで躊躇はなかったのですか。

木村:全然なかったです。もうそれは「出会ってしまった感」がありましたし。しっかり話せたというか、手応えがあったのでまったく不安はなかったですね。

――そのときは独身でしたか。

木村:いや、結婚して子どももいました。子どもが転職を思いとどまる要因になったというより、むしろコンサルという仕事を子どもに説明できないから、農業を志したところがあります。

――奥さまは転職に反対されなかったのですか。

木村:昔から僕が常識的なことはしないとわかっているので(笑)。

塩野:それは重要ですよね。新卒であれば親に反対されてとか、結婚していれば旦那や奥様に反対されて転職できなかったという人は多いですよ。家族に相談しちゃダメですよ。事後報告しなきゃ。

木村:そうですね、やっぱり最終的に自分で決めたかどうかで、何倍もエネルギーが違うと思います。

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