九州の高校生が台湾のデジタル大臣と白熱議論 唐鳳氏にぶつけた「デジタル社会で生きること」
――オードリーさんは、日々の活動において「徹底的な透明性」(Radical Transparency)を大切にしていると聞いています。徹底的な透明性が必要なのはなぜでしょうか。それを追求することによって、政府組織の中で孤立することはありませんか(宮崎西高校)
三権分立の制度において、司法はもともと徹底的な透明性に基づいて成り立っているものです。どのような判決でも最終的には公開されます。しかも、弁護士が公判の過程で書き起こした文章は「著作権を主張してはならない」とされています。
なぜかと言えば、これらは社会の公正性に関することだからです。著作権に対する費用を支払える人しか昔の判決文や訴状を見ることができないとしたら、どんな裁判でもお金持ちが勝訴しますよね。政府の中にいて社会の公平や正義、共生などに関わる人たち、国民とひざをつき合わせて話すような人たちは確かに徹底した透明性を好みます。それに反して、政府の中でも軍事的な決定を下すような人たちは、共生よりも国土の防衛や安全を気にかける必要があります。ですから、彼らは私のオフィスには来ません。
質問に簡潔に答えるならば、もちろん、孤立することはありません。なぜなら、政府の中においても誰かに知られることを恐れず、国民に何としてでも事実を知ってもらいたいという人たちがいるからです。そんな人は、私のところに集まります。しかし、知られてはいけないような情報について、公開を強制することはありません。したがって、徹底した透明性を追求することで孤立することはありませんが、国防・軍事関係の組織に「明日までにすべての機密を公開せよ」ということもありません。
ネットの誹謗中傷はどう対応したらいいか
――デジタル化の進展で意見の発信が容易になった一方で、誹謗中傷や行きすぎた監視といった問題が表面化しています。そんなデジタル化社会において、私たちはどのような点に注意して生活していけばよいでしょうか(大分上野丘高校)
私にとってそのような問題は、マスクを付けたりせっけんで手を洗ったりするのと同じで、考えることをしなくても感覚的にすり込まれているようなものです。
インターネット上にある精神的なウイルスやインフルエンザのような、見ると気分が悪くなったり、あるいは自分以外の誰かに迷惑をかけてしまう誹謗中傷行為や情報に対しても、同じような概念で対応が必要だと思います。
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