ガラスが5500年前に作られたという意外な真実 「あれ」をいつ、誰が、どこで発明したのか?

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人類の発展は、絶え間ない進化と蓄積の繰り返しによって成しとげられてきた。アイザック・ニュートン卿の言葉によれば(よく知られた古典的な考えをなぞったものだが)、新しい発想やものは「巨人の肩の上に立っている人」から生まれた。

そうした巨人の一部を、私たちは少し前に見かけている――ごく初期のきわめて重要な3つのブレークスルーを成し遂げた、名もない太古の人々だ。彼らは、「火」「道具」「言葉」を自由に操るようになった。

農業のはじまりと町や家の誕生

発展のバトンが「ホモ・サピエンス」の手に渡ると、やがてあらゆる「はじめて」のなかで最も重要かもしれない農業が出現する。

動物を狩り、食べられる植物を採集する暮らしから、計画的に耕作と畜産をする暮らしへの移行は、世界中の数十にのぼる地域で別々に起きたが、はじまりはメソポタミア(イラク)でのブタの家畜化で、紀元前1万3000年頃との説がある。

それから数千年をかけて、やはり中東で、ブタ小屋の周辺に小麦、大麦、その他の作物の畑が広がっていった。それを育てた人々がはじめての農業従事者だ。

人々が放浪生活から抜け出すと、洞窟、天幕、一時的な隠れ場所での暮らしよりも、恒久的な住居を求めるようになった。

イスラエル統治下のヨルダン川西岸地区にあるエリコおよびトルコのチャタル・ヒュユク(どちらも紀元前9000年頃)がはじめての町かどうかは定かではないが――人口数百人で、現代の村に近いものだった――これらが現在までその姿を保ってきた最古の町であることはまちがいない。

家には入り口が必要だ。ドアを描いた最古の絵は古代エジプトの墓の壁画で見つかっており、はじめてのヒンジは――寺院、墓所、宮殿のみで利用され――ドアの上下と枠とのあいだに棒軸を差し込むだけのものだった。

青銅(紀元前3300年頃から、後に鉄)が登場すると、より丈夫なものが作られるようになり、ローマ時代には独自の神をもつほど重要な立場を獲得している――カルデアは蝶番の女神だ!

ドアと枠の両方に平らな板を固定する現在の形をした蝶番の登場は、1850年頃まで待たなければならない。

はじめての窓は壁にあけた穴で、光と新鮮な空気を取り入れ、煙と臭気を外に出すためのものだった。必要があればその窓を木片や布や皮革で覆った――はじめてのカーテンだ。

1世紀までには中国で紙が作られるようになり、文字を書くためだけでなく、窓を覆うためにも用いられるようになる。

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