「海外で突然発作」入院して知る意外な医療事情 世界を駆けるモータージャーナリストの体験談

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元々気管支喘息の気はあり、それなりの治療も受けていた。でも、ひどい発作を起こしたことなどなかった。それが旅先で突然、未体験ゾーンの発作……身動きできないほどの発作に襲われた。

ミュンヘンに近い町を拠点に行われた、ポルシェ国際試乗会でのこと。試乗スケジュールがすべて終わった夜だったのがせめてもの救いだった。むろん、ポルシェがすべてを手配してくれたので、僕はすぐ救急車で近くの大学病院に運ばれた。

経過は順調。4日で退院できたが、緊急入院した翌日のフライトで家内が飛んで来てくれたので、精神的にも楽だった。

ドイツの大学病院は、旅先で緊急入院した患者をも安心させてくれた。すべてが整然と行われ、不安を感じさせることなどなにひとつなかった。それは、「驚くべき」といってもいいレベルだった。旅先の緊急入院、ドイツ語はまったくダメで英語少々……不安の塊のような病人を、強い安心感で包んでくれた。

無事帰国して1カ月ほど経った頃、病院から請求書が届いた。A4の用紙3枚にビッシリ書き込まれていたが、その内容の詳細さと、請求額の安さに驚いた。例えば、回診1つとっても、教授は 1回4ユーロ、担当医は2ユーロ、看護師は1ユーロ(ハッキリ覚えていないが、こんな感じだったとか思う)と明細が記されていた。

2人部屋だったが広々していたし、リネン類も完璧に清潔。検査も多く行ったし、見回りも万全。なのに、救急車代も含めた請求額は数万円だったと記憶している。2ケタ台に乗っていなかったのは確かだ。後で聞いたのだが、外国人旅行者もドイツ人と同じ対応なのだという。つまり、ドイツの人たちの納めた税金で、旅行者も守られているということになる。

ヨーロッパ旅行中に息子がダウン

ところで、わが家は3人家族。息子が大学を卒業するまでは、よく3人で海外を旅した。そんな中、家内も息子も、旅の途中で病院騒ぎを起こしたことが1度ずつある。そう、家族3人がそれぞれ1度ずつ……。わが家のバランスはバッチリだ。

最初の病院騒ぎは1970年頃だったと思う。ヨーロッパ旅行の途中で、息子(4~5才)が突然高熱を出してダウンした。その旅は、アムステルダム、ジュネーブ、ローマ、ベニスを巡るスケジュールだったが、アムステルダムは順調に楽しんだ。

体調がおかしくなったのはアムステルダムからジュネーブへの移動中。飛行機の中だった。かなりの高熱のようで、顔は真っ赤。発疹も出ていてグッタリしていた。ジュネーブのホテルに着いてフロントで事情を話すと、すぐ病院を手配してくれた。むろんすぐ行ったが、医者も看護婦も基本フランス語で、英語は僕よりもカタコト・レベル。

病名もわからないまま、クスリだけもらってホテルに帰った。そして、日本のかかりつけ医に電話を入れ諸々を話すと、「はしか」だとわかった。伝染力のある感染症だ。

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