「クビ寸前」から逆転した僕が学んだ信頼の本質 「また会いたくなる人」だけが持つ決定的視点

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私は、先輩講師たちの技なども参考にしながら、生徒たちから「また会いたい」と思ってもらえる話し方を磨いていきました。その結果、その成否を分ける最大の分岐点は、実は、話し始める前にあることに気づきます。

カギを握るのは、相手との信頼関係の有無です。

人間は、同じ内容の言葉を受け取っても、信頼している人からのメッセージにはポジティブな反応を示し、信頼関係を結んでいない人からのメッセージには不信感や反発心を抱くものです。これは社会心理学の研究で明らかになっています。

駿台時代、生徒との信頼関係を築くのが上手な講師と、そうではない講師がいました。駿台で教え始めた頃の私は完全に後者で、空回りしている自分に気づきつつも、何が問題なのかをうまく把握できずにいました。

問題がどこにあるのかわからないものの、現状のままでは講師としての契約を更新してもらえないかもしれないということは感じていました。予備校講師の世界は完全な競争社会です。生徒から信頼を得られない講師は脱落していかざるをえません。

そんな危機感から、さまざまな試みをしました。お笑い芸人のトークを集めたDVDを買い込み、タレントさん同士のやりとりを研究して話術を磨こうとしたり、講義の合間に”化学あるある”のおもしろエピソードを挟み込んで笑いを取ろうとしたり、生徒の実力が伸びるようにと膨大な宿題を出してみたり。しかし今思えば、それらはどれも、生徒の信頼を失う方向の試みでした。

結局、自分の努力では状況を好転させることができなかった私は、信頼関係を築くのが上手な講師たちの講義を聞き、話し方を観察し、研究することにしました。

不人気講師がやらかしていた2つの勘違い

冒頭のつかみのトークが巧みなのか。それとも教え方に意外性があるのか。そんな視点でしばらく観察を続けるうち、私は自分が2つの勘違いをしていたことに気づきました。

1つ目の勘違いは、私が担当している化学という学問を学ぶことは「楽しい」という前提で話をしていたことです。

2つ目の勘違いは、講師である自分は受講してくれる生徒たちに「好かれるべきだ」と考えていたことでした。

予備校は学校とは違います。ここで講義を受ける受験生たちの唯一にして、最大の目的は志望の大学に合格する力を身につけることです。楽しいから化学を学びたいわけでも、人柄のいい先生と仲良くしたいわけでもありません。

何の意味があるのかよくわからない元素記号を覚えなければいけないフラストレーションを抱えながらも、志望する学部に入るために化学の試験を受ける必要があるから勉強する。将来の実生活で役立つのかどうかわからないけど、合格点に達したいから方程式を覚える。そんなシブシブ感を、私も受験生だったとき、同じように感じていたはずです。

ところが、講義をする側になったことで、自分の教える化学には価値があり、教える自分にも価値を見いだしてもらいたいと思うようになっていました。

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