JRAは1970年に秋に3歳牝馬限定重賞のビクトリアCを創設した。京都2400m芝のこのレースが牝馬の3冠目という意味を持った。1975年まで行われたが、エリザベス女王の来日を機に1976年から「エリザベス女王杯」を新設。回数を引き継がず第1回として施行した。以降、1995年まで3歳牝馬限定、京都2400m芝で開催された。
1996年に牝馬の競走体系が見直され、エリザベス女王杯は「3歳上牝馬」の競走となり距離も2200m芝に変更。牝馬3冠の最終戦として京都2000m芝の「秋華賞」が新設された。これで現在の牝馬3冠が確立され、エリザベス女王杯は古馬も含めた牝馬最強を決める舞台となった。
JRAはグレード制を導入した1984年に3歳牝馬限定、京都2400m芝で施行していたエリザベス女王杯をGⅠに格付けした。3歳牝馬路線は桜花賞、オークスのクラシック2戦とエリザベス女王杯がGⅠとなり、はっきりと3冠という形になった。牝馬3冠は後発である。
牝馬の3冠馬は1986年メジロラモーヌ、2003年スティルインラブ、2010年アパパネ、2012年ジェンティルドンナ、2018年アーモンドアイ、そして今年のデアリングタクトの6頭だ。
アーモンドアイは初戦で2着に敗れたが、そこからは連勝で3冠を制した。デアリングタクトは史上初めて無敗で牝馬3冠を制する快挙を達成した。
3冠馬2頭の対決は過去に4回
過去、3冠馬が対決したのは4回しかない。それも2頭の対決だけだ。同時代に3冠馬が誕生していなければ対決は不可能である。1983年のミスターシービーと1984年のシンボリルドルフが3回対戦している。
1984年のジャパンカップはシンボリルドルフが3着、ミスターシービーが10着。同年の有馬記念はシンボリルドルフが制してミスターシービーは3着。1985年の天皇賞・春はシンボリルドルフが制してミスターシービーは5着。シービーはルドルフに一度も勝てなかった。
当時はルドルフ派とシービー派に分かれて、どちらが強いかとファン同士が語り合ったものだ。シービー派だった筆者は悔しい思いをした。完璧なレースを見せたルドルフに対して強烈な末脚を武器にした追い込み馬のシービーは派手なレースぶりで人気があった。
しかし、ルドルフは強かった。当時の競馬を見ていればシンボリルドルフを史上最強馬と言う人が多いだろう。それほどまでにルドルフは強かった。筆者もそう思っている。
4回目は2011年の牡馬オルフェーヴルと2012年の牝馬ジェンティルドンナが激突した2012年ジャパンカップ。3歳牝馬のジェンティルドンナが凱旋門賞帰りの4歳牡馬オルフェーヴルと直線接触する火の出るようなたたき合いをハナ差制して1着となりオルフェーヴルは2着に敗れた。
中央競馬の長い歴史でも3冠馬対決はこれだけだ。だからこそ同時代に奇跡的に現れた3頭の3冠馬が一堂に会するのは価値がある。まさに空前絶後だろう。
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