「開拓性」遺伝子型の人とそうでない人がいる訳 ゲノム解析から見た人類の多様性とその未来

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ゲノムというものは4つの塩基の配列でできています。これはデータ化できるデジタル情報ですから、ヒトのゲノムを解析することは、つまりはデータを蓄積するということになります。

現在、データの蓄積が世界中で進んでいます。データの意味づけ、つまり、この疾患の人はこの遺伝子を共通して持っているとか、このDNAが損傷しているとこの疾患になるといった法則性がわかるようになってきました。

ゲノムだけでなく、タンパク質などの蓄積データも、現在、加速度的に増えていて、解析コストも下がっていますし、今後さらに生命の法則性についての解明のスピードは上がるでしょう。老化の解明、老化に伴う疾患のメカニズムの解明も今まで以上のスピードで進むはずです。

ゲノム情報は個人情報か

ここで課題があります。『ライフスパン』にも書かれていますが、技術的にできることと、倫理的にやっていいことは別だということです。まずテクノロジーが登場して、そして、次にそれを使っていいのかどうかという議論が起きるのです。

ゲノムが解析できるようになったとき、それを個人情報としてどう扱うべきかという議論が始まりましたが、その議論の総和によって、倫理的な基盤を形成していくしかありません。とくに、個人情報は難しいテーマです。

ゲノム情報は、「究極の個人情報」と言われていますが、実際には、個人情報には該当しないと判断している国のほうが多い状況です。しかし、日本においては、個人情報として扱われます。

遺伝子情報が単体で存在しても、それを見ただけでは個人はわからない。ただ、名前や住所、本人を特定できるものとひもづけられた瞬間に、それは「究極の個人情報」となるわけです。それをどう扱うかは、皆さんがどう思うのかということにかかっています。

こういったスタンスは国によって違います。例えば、アメリカは、比較的個人主義のため、何をやっても個人の責任であるという感覚があります。ですから、ゲノム情報もネット上にアップしている人もいます。一方、ヨーロッパは、生命科学だけでなく、ネット上の情報全般について厳しい国が多いですね。そして、中国は、国家主導でデータを集めています。

技術と倫理は別であり、倫理には皆がどう思うかが大きいことを考えると、そのデータを使うことで何ができるのか、どんな未来がイメージできるのかを描くということが重要になります。

「ゲノム情報を使えば、人々が病気になることなく、健康なまま寿命をまっとうする世界が実現できるかもしれない」となると、自分のゲノム情報を提供する人も出てくるかもしれません。ただ、ディストピアを描けば、そのテクノロジーは使われなくなります。その点で、どのような未来を描けるのかを想像できるので『ライフスパン』のような本は意義がありますね。

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