元ベンチャー起業家が「株式会社の謎」に迫る訳 「自分を勘定に入れて」500年の歴史を素描する

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「それでは届く人にしか届かないじゃないか」と取られるかもしれないが、そうではない。届く射程を知らない言葉は、放射的に放たれるだけの打ち上げ花火である。対して、氏の言葉は、空には打ち上がらず、人の足元を照らす。自分の足場を再認識させる。同時に立ち上るのは、人間という存在に対する普遍的で確かな「理解」だと私は思う。

「身体性」で世界を認識する

ところで、私が平川氏を素描の人だと感じたのは、氏の文筆とは別の場所である。それは、ラジオ番組の収録現場だった。

その頃、氏は秋葉原にオフィスのある2つの会社に関わっていた。ひとつは、自分が経営するリナックスカフェ、もうひとつはラジオカフェという会社だった。

私が関わったラジオカフェは、落語や対談を音源化し、Web販売する会社で、当時はスタジオでラジオ番組を収録し、引き続き行われた対談部分を有料音源にしていた。私はこの番組の制作に関わった。平川氏はパーソナリティーとして番組に出演していた。パーソナリティーは4人いて、それぞれの対談の方法があったが、あるとき、私は氏の対談を素描のように感じるようになった。

平川氏はつねに、語り部の全体像をつかんだ。言葉を切り取るのではなく、その言葉がいかなる人からどのような文脈で話されたのかを読み解く。そこに、聞いている自分という次元を加えて素描する。描くのが早く、話の展開も早い。そのスピード感に後押しされ、ゲストはコロコロと言葉の糸を吐いていった。

本書に貫かれている手法も同じである。株式会社に起こること、世界の出来事、アダム・スミス等の思想、日本の会社というものの考察、不祥事や事件の背景、国民国家と株式会社の相克、病と幻想の共同体の姿等に対し、氏は同次元から見るのではなく、自分という人間の視点を加え、氏のいつもの口癖である「自分を勘定に入れ」ながら、繰り上げた次元から観察している。

話をラジオカフェに戻せば、その後、番組はラジオから離れ、Ustreamで生放送を始める。会社は秋葉原の別のビルに転居し、その会議室が配信場所となった。番組は、スタジオという異空間でゆっくりと語られる物語ではなくなった。

かわりに、震災後の社会でそのとき、何が起こっていたのかを告発する、時代の最前線に立つ人々の切り口が際立っていく。ごろりとした現実が配信現場に突き出される。その頃、時代と番組は確かにシンクロしていたのである。

しかし、結局番組はスポンサーを探し当てることができず、その後、オフィスが秋葉原から新宿御苑に移るとともに、終了する。

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