バナナや紅茶の台湾産業が日本で発展したワケ 日本初のブランド紅茶「日東紅茶」との深い縁
台湾におけるサトウキビ栽培と砂糖製造の起源
たとえば、1日の朝をこんなふうに始めることはないだろうか。砂糖を入れた甘い紅茶を飲み、朝食代わりにバナナを食べ、手早くメイクをして仕事に出かける――。ありふれた光景だが、私たちの身近にあるこれらのモノをたどってみると、台湾と日本を結ぶ長い関係が見えてくる。
数年前、台湾中部の雲林県虎尾鎮(フーフェイ)を訪れたことがある。かつて虎尾が「糖都」と呼ばれたのは、明治42年に「大日本製糖」(明治28年、渋沢栄一が設立した「日本精製糖」が前身)工場が操業を開始したことにさかのぼる。当時の豪壮な施設が現存し、現在は「台糖公司虎尾糖廠」として操業中だ。サトウキビの収穫期にはシュガートレインが走り、観光客も多くやって来るという。虎尾の街全体に甘い香りが漂っているようだった。
台湾におけるサトウキビ栽培と砂糖製造の起源ははっきりしないが、15世紀から本格化した漢民族の移住によるとされる。オランダ統治時代、鄭(テイ)氏政権時代、清朝統治時代を通じて、砂糖は日本を含むアジア市場を中心とした有力な貿易品であった。東インド会社や中国商人などが貿易を担ったが、規模は小さく、飛躍的に発展するのは、日本が台湾を領有した明治28年以降のことになる。
第4代台湾総督児玉源太郎は、それまでの治世方針を転換(「討伐」から「統治」へ)し、彼が抜擢したのが、明治31年に民政長官(当初は民政局長)に就任した後藤新平である。在任中に台湾の近代化を推進し、産業の育成と発展を奨励した。