元ベンチャー起業家が「株式会社の謎」に迫る訳 「自分を勘定に入れて」500年の歴史を素描する

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私が工場で渡された白い靴は、それとは真逆な世界の到来を知らせていた。白い靴は、派遣社員に渡される労働の一日切符だったのである。蜜月から20年。時代は、労働にも切符の購入が必要で、自分で洗濯した作業着を持参しなくてはならなくなっていた。派遣の交通費が税制面でも配慮されないように、低賃金労働にも当たり前に経費がかかる時代なのである。

「偶然性」の幻想共同体を生きる

しかし、私は幻想の共同体も知っている。氏と私の年齢は15歳違いで、高度経済成長期の最終段階に氏は会社を立ち上げ、バブル期へ向かう右肩上がりの成長に乗り、シリコンバレーに進出する。

一方、私はバブルがはじける直前、1989年に最初の女性総合職として出版社に入社する。研修は営業(その会社では普及と言ったが)部で過ごし、あまりに上司や周囲の人々が優しく、自分のことを評価してくれることに驚き、楽しくて仕方なかったことを憶えている。

楽しいから一生懸命働き、3カ月の研修後、編集部に配属となったときは、営業部から離れるのが嫌だと泣いた。驚くことに、周囲も泣いた。泣きはらした目で編集部に行くと、「こんなヤツは初めてだ」といぶかしく思われたが、すぐに編集部でも楽しくなった。毎日共に過ごす上司のことを「奥さんより知っている」と錯覚していた。まさにそれは、会社という幻想の共同体だった。

しかし、私が25年後に履いた白い靴は、そんな幻想や錯覚をみじんも抱かせない。自分の労働を支えるものは、その日に支払われる賃金だけだ。氏が言う、後代に恥じることのない石積みを行った石工のエートス(倫理)を、派遣労働者は持ちえない。あめをいかにきれいに早く切るかを試みても、翌日には機械にとって代わられ、切り捨てられる身である。

つまり、株式会社とは人間が自ら作った仕組みであるが、人間が抱くエートスも心的贈与のしつらえも、その後、はじき、はずすように設定されていたのである。

平川氏もまた、自らはじかれる存在となるべく道をたどっているように思うのは私だけだろうか。

私の知る限りでは、秋葉原のにぎやかな風景から、少しずつオフィスを変え、雇用する人々も変わり、最終的には、氏は自分の責任において会社を清算する。自己破産ではなくマンションを売り、持っていた財産を売る。

これを氏は、「自分の責任ではないものを自分の責任として選び取る」と言い、そうしたときに、人間の生は、「生かされている」という偶然の受動態から必然に変わるのだと言う。

選び取った後の平川氏は、体の不調も嘆かなくなり、本当にしたかった仕事を得、地域や多方面とのつながりを持ち、実に楽しそうだ。

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