元ベンチャー起業家が「株式会社の謎」に迫る訳 「自分を勘定に入れて」500年の歴史を素描する
実際にいくつもの会社を起業し、経営し、そして畳んできた事業家でもある同書の著者・平川克美氏は、どのようにその謎を読み解いていったのか。
同氏の来歴と生き様から探っていく。
「自明」の制度を論じる困難さ
平川克美氏は、素描の人だと思う。
素描とは、対象の観察から始まり、その全体像を線によってつかんでいく、デッサンと呼ばれる技法である。
描き手は、いちどきにさまざまな角度から素描する。何度も対象を観察し、自分の視覚と素描が肉薄する地点まで描き続ける。
ところで素描には、写真のような素描もあれば、ある部分を強調したり、変形させたり、あるいは抽象化する技法もある。単純化する場合もある。
この本における対象、すなわち、株式会社に対して、世の多くの人や論考は単純化の技法を取るだろうと思う。
なぜなら、この対象は、500年という時間を生き続け、その生きる原理が崩れてもなお生きながらえようとしている、人の手には余る妖怪のような存在だからだ。
しかも、人々の生活や価値観が、ほぼ株式会社を中心としたものに差し変わっている今、自身に内面化したこの対象を、人は容易に捉えることはできない。
そこで人々は「道筋の見えないところでは、期待と欲望が先行するのである」と本書にも書かれているように、この対象についての漠とした不安の中にあるからこそ、逆に希望を抱こうとする。人はつねに「回想の次元」ではなく、「期待値の次元」(鶴見俊輔)に立つのである。そうして、単純化した株式会社に対するあやふやな期待値を根拠に、株式会社ありきの経済理論が跋扈(ばっこ)する。
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