逃げ恥脚本家語る「エンタメ共感競争」への異論 野木亜紀子氏「映画は客観、複数の視点がある」

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オリジナルと原作ものの脚本を両方やるなかで、原作もののときはその作品にしかないものを求めます。本作はかつての未解決事件を元新聞記者が圧倒的な取材力をもって書いているという、オリジナルではやりえない唯一無二の小説です。ただ、劇中の主人公のセリフにもありますが、「35年前の事件をいまやる意義ってなに?」となったときに、そこは私のなかでも答えを見いだすまでにちょっと時間がかかりました。

――いまやる意義として見いだした答えはなんだったんですか。

それは作品のなかに込めているので、映画を観た人に感じていただければと思います。

――本作は、事件に巻き込まれてしまう子どもたちの人生が胸に迫ります。野木さんの描きたいテーマとして、子どもや日本社会の未来があるのでしょうか。

本作はストレートにそうですし、「MIU404」でも扱っています。いまの日本社会が子どものことをおざなりにしている気がしています。本当に国のことを考えたら、教育も大事だし、子どもの未来にもっとお金をかけるべき。社会の未来そのものが懸かっている子どもを大切にしないといけない。

それはたしかに私のなかにあるものだし、いまの社会においてそこを変えていかないといけないと思っています。この映画で描いていることは、いまも日本のどこかで形を変えて起こっているのではないかという気持ちがあり、そういう社会が少しでも良くなればと考えています。

社会性とエンターテインメントは切り離せない

――野木さんの作品は、エンターテインメントのなかに時事ネタや社会問題へのメッセージが色濃く映し出されていると感じます。エンターテインメントと社会性の関わりについてはどのように考えていますか。

主人公の新聞記者・阿久津英士を演じる小栗旬。昭和の未解決事件を特集する企画班にシフトされ、35年前の未解決事件「ギンガ・萬堂事件」の核心に迫る ©2020 映画「罪の声」製作委員会

ニュースやドキュメンタリーは観ないけどドラマや映画は観るという人はたくさんいます。エンターテインメントの形にすることで世の中に伝える、知ってもらうのは意義のあることであり、必要なことです。

たとえば、ディズニーの『ズートピア』は、子どもはキャラクターたちの物語を楽しめるし、大人もエンターテインメントとして観られますが、実は人種間の軋轢や差別をまっこうからわかりやすく扱っています。メッセージをこういう形で表現して世に出すのは、優れたエンターテインメントです。

そもそも社会性とエンターテインメントは切り離せない気もします。「MIU404」や「アンナチュラル」でも社会性についてはよく言われたんですけど、そもそも犯罪は社会の状況があって起こるもの。事件ものをやるうえで社会と無縁ではいられません。事件を描けば社会を扱わざるをえないので、エンターテインメントと社会性はむしろ無縁であるほうが難しいのではないでしょうか。

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