中田敦彦がテレビ→YouTubeへ舞台を移した訳 失敗を重ねたって挑戦続ければ最後には勝てる
――その強さは、どこから来るんですか?
妻にもよく、「あなたは人に怒られることを何とも思ってない」と言われます。たしかに、ホリエモン(堀江貴文)さんとの飲み会でも、平気で途中フラッと抜けて帰ることがあって(笑)。
元来、メンタルが強いんだと思います。「ギリギリ死ななければ大丈夫」と思って生きていますし、知人からの食事の誘いにも返事を返さないことも。
それでも、相方の藤森慎吾が2011年頃にチャラ男でブレイクしたときは「俺はまだキャラが見つかってないのに」と思い焦りました。妻もいまだに「あの頃は、悩んでたよね」と。
当時、藤森のソロCMに着ぐるみを着てバーターで出演したこともありますよ。僕の顔は見えない状態で。
正直、2012〜2015年まで『PERFECT HUMAN』で2016年に見つけてもらうまで、実に5年間は悶々としていました。
そもそも「武勇伝」でヒットしたものの、その3年後、レギュラー番組がほぼ消滅したときに「お前は、もう終わったな」と面と向かって先輩芸人に言われる状態でした。
一発当たって、下がるときがいちばんキツイ。
でも、そんな時でも、自分のやることをやるしかないと信じていました。僕、ふてぶてしいし図太いんです。罵詈雑言を浴びても、あまり気にせずに眠れますしね。
「ただ、いてくれるだけで、生きているだけで大丈夫」
――しかし、オンラインサロンには、多様な価値観が集うのではないですか。
だから、僕のサロンは「ただ、いてくれるだけで大丈夫」「生きてさえいれば大丈夫」というスタンスで続けています。
以前はコメンテーターの仕事を通じて、世間から怖いという印象を持たれていたと思います。当時、僕が批判的なコメントを言うとすぐにネットニュースになりましたし、お笑い界でも怖がられてしまって、もう無茶くちゃでした。
実際に先輩にも物怖じせず意見を述べていましたし、「自分が変わりたいなら今すぐ動け!」と周囲にも言い続けて。
でも、お笑い業界からビジネス業界に飛び込んでみたら、ビジネスの先端を行く人は強さを持っており、気が合いました。
そこからあふれ落ちる人も見てきて、弱さも受け入れるようになりました。
現在3000人ほど在籍するサロンメンバーは、意識の高い人々の集まりだけではありません。人は、そんなに強くないと実感しています。
今では繊細なサロンメンバーを見つけると、「きっと感度が高いんだろう」と思って、事あるごとに助けてもらうようにしています。
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