新宿で異彩を放つ「タブーなき言論空間」の実像 ロフトプラスワンが存在感を増し続ける理由

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「サブカルの聖地」ロフトプラスワンの熱い歴史とは?(撮影:尾形文繁)

「サブカルの聖地」「タブーなき言論空間」と呼ばれる場所が歌舞伎町にある。トークライブハウス・ロフトプラスワンだ。約150席の空間で、多種多様なイベントが日々開催され、登壇者はトークをはじめとした思い思いのスタイルで発信を行う。

観客も見聞きするだけでなく、質問や意見を自由にぶつけることができ、登壇者と活発なコミュニケーションが交わされる。そのため会場の一体感は大きく、圧倒的な臨場感のなかでイベントが進行していく。

世界の臭い食品の試食会、仮面を着用しての読書会、レイシズムに関する討論会、人気男の娘のファンイベント……これらは筆者が参加したイベントの一部だが、いかに多様かが伝わるだろう。このライブハウスは、いかにしてここまでの存在感を放つようになったのか。ロフトプラスワンを運営するロフトプロジェクトの社長・加藤梅造さんに聞いた。

朝まで交流や議論に熱中、知る人ぞ知る空間

交通の便のいい新宿歌舞伎町に1997年に移転した(撮影:尾形文繁)

ロフトプラスワンは1995年、新宿の富久町で開店した。ライブハウスというより、ステージのある居酒屋といった空間だったが、日々トークライブが行われるスタイルは現在と変わらない。客としてイベントを見に行った加藤さんは、たちまちその空気に魅了された。

「故・岡留安則さん(「噂の眞相」元編集長)と故・塩見孝也さん(元赤軍派議長)が、北朝鮮問題について討論するイベントでした。それが、ものすごい大激論だったんですよ。普通の講演会やトークショーとはまた違うライブ感があって、すごいなと。お客さんが議論に参加できるのも面白くて、よく行くようになりました」

まだインターネットも普及していない当時、ロフトプラスワンは知る人ぞ知る空間として、いわゆるオタクやサブカル好きが集まっていた。朝まで営業していたため、客たちは時間を気にせず、交流や議論に明け暮れた。常連の間で、イベント企画や映画の上映、ミニコミ誌の制作といった活動も自然と行われるように。

刺激的な日々に、加藤さんは勤めていた大手企業を辞め、ロフトプラスワンでアルバイトとして働き始める。「会社員生活は先が見えてしまった気がして、つまらないなと。何のために大学まで行かせたんだ! と両親からはこっぴどく叱られましたけど」と加藤さんは振り返る。

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