「愛の不時着」がなお人々の心を掴み続ける必然 「フロムの名著」が教えてくれる"愛"の本質
人類学者のレヴィ=ストロースは、社会の基礎になったのは「交換」だと考えました。相手から「奪う」と争いが生まれますが、交換すれば平和的に共存ができますよね。その交換は、自分から先に贈り、返礼をもらうことで成立し、始まりました。これは、言い換えれば愛なんです。相手への愛がなければ、自分から贈ろうと考えないわけですから。そういう意味でも、社会を支えているのは愛なのですね。
ところで私は最近、「愛の不時着」という韓国ドラマにハマっていまして。
――コロナの自粛中、人気になりましたね。
作品で、愛する人のためなら自分は死んでも構わない、というシーンが出てきます。あの内容には、多くの人が心を打たれると思います。ドラマの舞台は北朝鮮ですが、私たちが生きている社会ではいちばん大事なのは多くの場合自分であり、それが当たり前の価値観となりがちです。自分に余裕があれば、家族にもよい生活をさせたい、友人など身の回りの人も幸せにしたい、と愛の対象が広がりますが、これは「譲っている」だけで、自分がいちばん大事であることに変わらないのではないでしょうか。
愛が必要なのは、幸福が得られないから
フロムの言う愛の原理とは、愛する人のことを思い、その人のために生きるということですから、現代社会において、愛を説こうとしても立場がないというか、なかなか難しいとは思います。けれど、だからこそ多くの人が「愛の不時着」で表現されるような、真に利他的で自己犠牲の愛に関心を持ち、憧れているのではないでしょうか。
お金の話をすると、世界中すべての人が豊かになることは恐らく不可能です。お金持ちは貧しい人から搾取し、金銭的に豊かになれるのはごく一握りの人だけ。人類の格差の歴史は、ほとんどその構造で変わっていません。人は、お金持ちになることが幸せだと思うようになり、自分さえ豊かであればいいという価値観になります。そして、愛が優先されにくい世界になるわけです。
――単刀直入に伺いますが、なぜ愛が必要なのでしょう。
幸福が得られないからです。人間の生涯で最も大事なのは幸福だと、私は思います。生きがいや充実感とも言い換えられます。多くの人は、幸せになるためにはお金が必要だと考えるでしょう。確かに、お金があるといい暮らしはできますが、それで本当の幸福が得られるでしょうか。経済的な豊かさが、そのまま幸せの豊かさになるかと言ったら、必ずしもそうではないと思う。愛する人との関係性が、お金以上に大きいのではないでしょうか。愛する人の幸せが、自分にとって最高の幸せになる。それが本当の愛ですよね。
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