日本人が家庭環境による格差に目を背ける現実 データに基づかない教育政策への大いなる疑問

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松岡亮二・早稲田大学准教授。取材はオンライン(撮影:フロントラインプレス)

松岡准教授によると、例えば、家庭の蔵書数や親の読書頻度によって、子どもの読書量に違いがある。親が大卒の子どもは、習いごとや塾通いによって学力も高い傾向にある。大卒者の住んでいる地域に偏りがあるため、学校間・地域間でも行われている教育にも格差がある。

――こういった格差が、どうして日本では見えにくいのでしょうか。

「アメリカ合衆国だとSESと肌の色に重なりがあるので、教育格差は可視化されているといえます。例えば、学費の高い私立小学校であれば白人の割合が高い。中学校や高校でも大学進学を前提とした応用クラスには、白人と東アジア系が多い。基礎クラスへ行くと、アフリカ系アメリカ人やヒスパニックなどが目立ちます。

また、住んでいる地域の経済的豊かさで教育予算が大きく違うので、住民のSESが高い地域は公立校でも教員や学校施設などの人的・物的資源が充実している。SESによって教育の機会と結果に差があることは自明です。このような現実を示すデータも行政が取得し、公開しています」

学力格差を「自己責任」で終わらせないために

「日本では、教える内容は学習指導要領で決められていますし、教職員の給与は財政力の低い自治体であっても義務教育費国庫負担制度によって支えられています。他国と比べて学校教育が標準化されているので国内どこであっても『みんな』が同じ機会を得ているという解釈が成立しやすいと言えます。

ただ、先ほど少しご説明したように、公立の小学校であってもさまざまな学校間格差があります。親が大卒の子どもばかりの小学校であれば、平均的な学力や通塾率が高く、大学進学を前提としている同級生が大半です。それぞれの学校の『ふつう』は、日本全体の平均とは限らないわけです」

「自分自身の『生まれ』と学校経験が社会全体の中でどのようなものだったのか――。それを位置づけることができれば、『自己責任論』に説得力を感じなくなるかもしれません。

平均より高いSESの家庭出身で、小中学校が公立であっても、地域SESを背景に学習意欲の高い同級生に囲まれて育ったことに自覚的になるのであれば、相対的貧困を背景に学力や学習意欲が低い子どもたちに対して『義務教育があるのだから本人の努力不足』と冷たい眼差しを向けることもなくなるのではないでしょうか」

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