これがゼンショー流の成り上がり術だ ゼンショー・小川社長が語る経営哲学(2)
――そのとき松屋と競って下げるというところにどういう戦術的な意味があったんですか。
当時、すき家は2000年3月に157店で、店数がまだまだ少なかったんですけれども、ここはマーケットを拡大するチャンスだなと考えて積極策に打って出たわけです。結果的に、それは僕が考えたとおり、新たにお客様が来てくれて、400円から280円に価格を3割下げたわけですけれども、その原価プッシュを吹っ飛ばす構造が作れたわけです。
価格を下げて市場を拡大
――どうしてそれが可能だったんですか。
それは、牛丼というものの潜在マーケットというのはある、大きいんだという僕の認識です。マーケットが拡大しないのに値段だけ下げたら敗北ですからね。牛丼というのは吉野家さんで有名になったけれども、明治以来、日本の中で横浜、神戸で食べられてきた商品で、非常にシンプルで普遍性がある、日本のハンバーガーだと。吉野家再建のときも僕はそう主張して、牛丼は保守本流だと。
当時、唯一僕が、牛丼というのはまだまだいけるんだということで銀行に対しても防戦したわけです。それの流れといいますか、それから基本的な流れはまったく変わってなくて、マーケットは拡大できると。だから、テーブル席を持ち、郊外に出店してきて、それが自分の考えどおり成功してきたわけです。当時、150~160店までね。
さらに、これはマーケットがないなら価格を下げられないけれども、マーケット開拓できると。だから、下げて、マーケット拡大をやろうという考えでやったわけです。
――3割下げて客数は5割増とかいう感じだったんですか。
そうですね。
――牛丼の安売り、一方でM&A、多角化と。経営者としてなかなかしんどいんじゃないんですか。
いや、今に比べると楽です。今は売上高3500億円で4000店舗のグループのマネジメント、20業態をやっているわけです。当時は2業態ですからね。まだまだ全然余力があった。
――ファミレスでもビッグボーイでも、それぞれ成長戦略というのはすぐ立てられたわけですか。
案件が来たときからスタートですよね。証券会社だったり銀行だったりいろいろあるんだけれども、来たときから審査をやり、その途中というのは、案件が来たとき、僕はその店を見ますよね。そうすると、全部仕上がりイメージが頭に浮かぶわけです。ここをこうすればこうなるだろうと。商品についても、オペレーションについても、店舗のレイアウトとかデザインについてもね。そこが出発点であり、非常に大事ですよね。
だから、それをどう実現していくのか。あるいは、お店を見に行って、これはダメだと。さっき言ったように99%がそれだからね。買っちゃダメだと、こういう判断をするわけですよね。これはいけるんではないかと店を見ながら思ったときは、さらにこうすればこうなるなと。それで今、日本でこれが何店あるけれども、この業態はこのくらいは出せるのではないかなとか、見ているわけです。
――日本サッカー協会にいらした平田竹男さんに話を聞いてきましたら、彼がおっしゃるには、小川さんはココスとかウェンディーズを見て、これは野球型だなと。サッカー型でなきゃダメだとおっしゃったと。
元サッカー協会専務理事としてはそういう見方(笑)。僕はここ5年くらい「サッカー経営」ということを言っているんだけれども、野球も好きだったんだけれども、サッカー経営ね。
何でかといったら、守りも攻めも瞬間で変わる。まさに客観情勢が変化し、変化対応能力が問われている21世紀の企業としては、俺はサルだから何か転がってくるのを待っているというんじゃなくて、自分がフォワードで今攻めていても、瞬間的にボールを取られたら今度は守りとしてもどうディフェンスするのかと。ボールを奪い返すのか、あるいはパスを阻止するのか、瞬時にして切り替えが必要になるわけです。だから、今は何を成すべきかということを瞬間瞬間、自分で判断していく。
21世紀の経営というのは、社長だけではなくて全員、そういう考え方でやるべき段階に来ているんじゃないかというので、サッカー経営と言っているわけです。