ゼンショーが抱く、あまりにも壮大な夢 ゼンショー・小川社長が語る経営哲学(1)

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小川賢太郎(おがわ・けんたろう)●1948年石川県生まれ。68年東京大学入学。82年ゼンショー設立
「週刊東洋経済」2010年11月27日号掲載の「トップの肖像」は、外食日本一の座にのぼりつめたゼンショーの小川賢太郎社長を取り上げた。この記事をまとめるために行った小川社長へのインタビューは2回、合計6時間以上に及んだ。
昨今、「ブラック批判」に揺れるゼンショー。しかし、このインタビューを読むことで、小川社長のブレることのない経営哲学、生き様が手に取るように伝わってくるはずだ。
ノーカット版を全4回にわけて掲載する。
第2回 「これがゼンショー流の成り上がり術だ」こちら
第3回 「こうしてゼンショーは危機を乗り越えてきた」こちら
第4回 「労働組合はアタマが古すぎる」 こちら

基本的な考えは「ユニークということ」

――「トップの肖像」は経営者の人物論をまとめる企画です。日本経済全体がずっと沈滞した中で、普通の経営者論ではなく、経営者の哲学なり、思いなり、生き様を書きたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

そもそも僕の基本的な考えは、ユニークということでしょうね。世界に一つしかないから価値があるじゃないかと。それぞれの人間が、みんな相応なわけですよね。だけど、日本の教育は一般的にはそれを否定する教育を50~60年やってきた。戦後の教育は特にですね。みんなで渡れば怖くねえと。

信じられないけど、運動会では徒競走を手をつないでやっている。笑ってしまうけど、そういうことが、社会常識とか教育の中に色濃くある。日本経済は誰が見たって沈滞している。沈滞の最大の要因というのは、私はそう思っているんですよね。

そういったみんな同じ、あるいは突出するやつは異端児だとか変わり者だといってたたく、という風土。これは、1990年まで私は復興経済と位置づけているんですけどね。

――90年まで。

ええ、90年まで。45年かけてGDPが2位になり、世界の中で経済的プレゼンスを高めてきた。これはやはり、欧米に追いつけ追い越せと明治維新以来やってきた。昭和20年8月15日から第2幕をスタートして、われわれの親父だとか、そういう世代が汗かいてみんなで頑張って、戦後の焼け野原からGDP2位にしたわけですよね。

これはすばらしい成功例だと思うんですよ。で、これができたんだけど、そこからはどうしたらいいのか、わからなくなった、価値観において。というのが、1990年からバブル崩壊、平成不況、その後も多少いろいろあったけど。

なんか日本は元気ないですよね、こういう社会になっちゃった、しちゃったというかな。という風に見ているんですね。だから、ユニークというのは、小川賢太郎というのは、68億の人類の中に1人しかいないというから価値があるのであって。みんな同じなんですよね。みんなうんうん言うんだけど、本当のところがわかっているのかと、本当のところがわかる必要があるのじゃないかと、こういうことが基本ですよね。だから冒頭にこういったことを申し上げたわけです。

――なるほど、自分ひとりしかないユニークさ。

だから、経営書とか、あるいは経営者がどうやっているとかいう情報がありますよね。

――あまりそういうものは読まれない、参考にされない。

うん、基本的には。ただ、事例研究として、こういう技術開発をやっていますよとか、それは興味あるから、自分でファイリングしているんですよね。ただし、人の生き様とか経営者が、ということは関係ない。会社のやっていることに関心がある場合はありますよ。

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