ゼンショーが抱く、あまりにも壮大な夢 ゼンショー・小川社長が語る経営哲学(1)

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一つだけ、通産大臣登録中小企業診断士という制度があって、当時調べていたら、資本主義の基本なんだよね、財務管理、マーケティング、色々な法規、ビジネスの基本、そういうものがあるではありませんか(笑)。

調べたら、日本マンパワーというところが通信教育やっていて、申し込んでみると、そこで経理、経理なんかやったことないから。そこから資本主義の基本は簿記だから、借り方・貸し方から、PL(損益計算書)、BS(貸借対照表)の作り方、動態分析、そういうことを勉強して、マーケティング、法律も勉強して、中小企業診断士になったわけですよ。

それが1978年登録かな。だけど、人間はさっき言ったように、志は基本的には変わらない。飢餓と貧困を無くすのを、資本主義的な方法でやろうと。

資本主義はあと300年は続く

――それがどうしてできると思われたんですか。

それしかないから。資本主義的生産様式を僕はぶっ潰すそうと思って、ぶっ潰すというか、マルクス主義だから新たな仕組みを作ろうと、頑張ってきた。いろいろ勉強もしたわけですよ、僕らのチームでね、東大のやつらが中心だから、結構そういう生産性は高い。

世界中の社会主義について勉強したわけですよ、まずソ連。僕らはハナから当時のソ連というのはビューロクラシー(官僚政治)でどうしようもねえと、反帝国・反スターリン主義と言っていたわけだから。そこはそこで内実をもっと勉強しなきゃいかんと。それから、当時チトーのユーゴスラビアの社会主義、それから中国の社会主義、やはり新しい試みとして、人民公社政策というのをやっていたわけですね、それも相当調べて。

それだけで1時間半かかるけど。さまざまな資本主義的な生産様式を乗り越える、生産様式を作ろうと思って人類があちこちで苦労していたわけ。そういうのを勉強して、われわれはもっと先進国でできる、やろうということやっていたんだけど、やればやるほど、勉強すればするほど、資本主義的生産様式はすげえなと(笑)。

19~20歳の頃はすぐぶっ壊せると思ってたんだけど、これはやっぱすごくて。試合やってみないとわからないじゃないですか、試合やってみた人間だからわかる、本当の強さとかはね。僕は資本主義があと1000年続くとは思わなかったけど、300年くらいはこの資本主義的生産様式が続くんじゃないかと。

ただ、目的は同じじゃないかと。最大多数の最大幸福と言った人もいるけど、要するにみんなが食えて、ハッピーに暮らせれば、それは資本主義も社会主義もへったくれもないわけで。そこの下部構造を作ろうというのが社会主義、もともとのマルクスの考えですよね。だから、資本主義的生産様式を物質化したのは株式会社である、ひっつめて言うとそういうこと。

なぜこういうことを言ったかというと、やはり最初ユニークと言ったことは、それはまずは世界をどう見るかということ、まずは。みんなそれぞれが。自分はその中で、どういう役割を果たしていくかということで、そこにおいていろんな会社であるとか、いろんな職業に就いていくわけですよ。ここの出発点が大事じゃないかと。

ともすれば、三菱商事に就職するとか、三菱商事で出世するとかになるんだけど、なりやすいんだけど、そうじゃないでしょ本当は。日本の株式会社が弱くなっているとすれば、みんながその思いをどこかに置いてきちゃって、あるいは思いの種があるはずなのに、さっき言ったように。それはさておいて、課長に気に入られるようなレポートを書こうとか、どうやったら同期のやつを出し抜いて出世できるのかとか、そういうハンド・トゥ・マウスの日常社会の中に、埋没・摩滅していくという人が増えると、会社というのは当然衰退するわけですよ。

いかに立派な経営戦略を立てようが、経営戦略を立てている人がそういう人であれば、それは絵に描いた餅だし、どんどん矮小化していく。それは非常に精神的な荒廃であり、社会の衰退ではないかと。

あまりにそこが日常的になってしまったがゆえに、僕が志とか世界観と言うと、たぶん違和感を持ったと思う。違和感を持つような、そういう社会になってしまったんですよ。そうじゃないと、だから僕が言った10歳の人間、彼ら・彼女らは志を持たせようという教育をやれば、間違いなく、ほぼ全員が。私が看護師になって病気の人の力になんとかなりたい。純粋に10歳の子は思うんだから。

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