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〈変貌の裏側〉裏原宿ブーム牽引したデザイナー発のブランドが"高収益企業"に進化した軌跡。創業者が経営人材とクリエイターを早々に分離した意味

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11月27日に東証グロースに上場したHUMAN MADE。上場セレモニーでともに鐘を鳴らした創業者のNIGO氏(左)と、同社アドバイザーのファレル・ウィリアムス氏(左写真:梅谷秀司撮影、右写真:今井康一撮影)

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11月27日朝、東京証券取引所の上場セレモニー会場。スーツ姿の東証関係者らが後方で見守る中、サングラスをかけた男性2人が鐘を鳴らす。2人が軽く抱擁を交わすと、会場からは拍手が沸き上がった。

同日、東証グロース市場にアパレル企業の「HUMAN MADE」(以下、ヒューマンメイド)が上場した。鐘を鳴らしたのは、同社のオーナー創業者で、ファッションデザイナーのNIGO氏と、アメリカの音楽プロデューサー、ファレル・ウィリアムス氏だ。

ヒューマンメイドには、NIGO氏やウィリアムス氏ら著名クリエイターがクリエイティブディレクターやアドバイザーとして名を連ね、経営陣にはユニクロのUT事業責任者を務めた松沼礼・代表取締役CEOを筆頭に、デロイトやサンリオ出身の取締役がそろう。普通のアパレル企業では見慣れない多種多様なチームは、どのように作り上げられたのか。

デザイナーと経営の二刀流から脱却

ヒューマンメイドのブランドが生まれたのは2010年。裏原宿ブームの火付け役としても知られるNIGO氏が収集してきたアメカジのビンテージ服を、サンプリングして商品化したところから始まった。当時は販売規模は小さく、過度に利益も追求していなかった。

16年に会社を設立すると、NIGO氏は代表取締役CEOに就任。デロイトトーマツ出身の公認会計士、柳澤純一CFO(最高財務責任者)が共同創業者として参画した。翌年には、NIGO氏とおよそ20年にわたる親交を持ち、ともに「盟友」と呼び合うウィリアムス氏も資本参画している。

オーナー企業も多いアパレル業界では、デザイナーの創業者が社長を兼務するケースは珍しくない。しかしNIGO氏の頭の中には早い段階から、スピード感を持ってブランドを拡大させるために、商品の構想やデザインなどを担うクリエイティブと経営の人材を分けて配置する構想があった。

そこから3年間で、商品の投入量を抑えながら売り切るビジネスモデル(詳細はこちら)の大枠を構築していく。19年以降には、経営企画や財務、事業戦略を担う人材と、ブランドの方向性などを決めるクリエイティブ人材を分ける体制を本格的に作り上げていった。

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