これがゼンショー流の成り上がり術だ ゼンショー・小川社長が語る経営哲学(2)
そういう基本的な考えだから、1982年に牛丼屋をやろうと思って創業したわけじゃないわけです。長々とお話ししたように、飢餓と貧困をなくすために、世界中にマス・マーチャンダイジングシステムを作ると。これはプロとして汗かいて運営するというのがゼンショーです。しょっぱな牛丼をやった。
――つまり、そういう大きな仕組みをつくるためには、牛丼だけではなくて多角化というお考えは?
そうですよね。だから、ツリーでいけば、食材の仕入れから加工、物流、そして最後に店舗でいろいろな枝があるわけです。まずは牛丼の枝をつくった。次にココスを入れた。こういうふうにイメージの中で、「ああいいじゃない、やろう」ということで手を挙げたわけです。
――80億、買収と。資金は?
1999年に東証2部に上場したときにエクイティをやったんです。増資をね。そこで67億調達していたわけです。それが主たる資金ですね。
――資金的にはそんなに使わなかった。
楽勝だったですね。だって前の年、67億円キャッシュを調達したばかりだもの。
――では、間髪を入れず。
流れとしてはそうですね。
競争相手は知らなかった
――ライバルもかなり手を挙げて、そこでいろいろあったということはないんですか。
みたいですね。当時3000億円売っていたカスミストアがオーナーでしたから。神林さんが当時社長、2代目ですね。神林さんのお兄さんが創業されて、当時、信州大学の経済学部長をやっていた弟さんが後を継いでやっておられたんですよね。
その神林さんと面接をやりました。つくばまで来いと。神林さんとしては、「あんた、どういう考えなの?」と。だから、簡単に自分のやってきたことを話して、こういう考えですよと。初めてお会いしたわけですが、「やる気があるのか?」と言うから、手を挙げさせてくださいと。そのとき、たしか「あと4社来ているよ」というようなことをチラッと言われたのね。
僕は、全力投球して、打たれたら仕方がないじゃないという人生観だから、「あと4社はどこですか」とかはいっさい聞かなかったし、あれからもう10年たつし、もう時効かもしれないけれども、それ以後も何回かお会いしたけれども、一言も聞いてないですよ。
だから、コンペティターが誰だったのか、4社がどこだったのかとか、本当に4社が手を挙げていたのかとかいうことは僕は全然知らないです。
――値段が吊り上がったということもないですか。
ないです。結局、神林さんが僕を選んでくれたんですよね。じゃ、あんたに任せるからと。息子さんも当時カスミに入っておられて、細かいことはその息子さんとうちのスタッフで話し合って、やりましょうみたいな、そういう感じだったですよ。
神林さんについては、経営者としての評価が世間でどうかというのは知らないけれども、立派な方で、吊り上げて高く売ろうとか、そういうセコい方ではないなという印象が強かったですね。今でもそう思っています。
――買収されて中身をご覧になって、どうでしたか。
というか、手を挙げるまでの間に、店舗の立地であるとか、業態としての評価とか、仕入れルートだとか、人材のレベルだとか、その辺は調べて、それなりに認識していましたから、あらためてどうということはなかったですけれども。
――要するに、ファミリーレストランというのは横並びで典型的な日本ということでどうしようもないなと。
そのときのファミレスを調べて、やっぱりそう思いました。これは横並びだなと。商品を見たって、オペレーションを見たってね。一応はデニーズとかも見ました。当時、ファミレスというのはもうダメなんだ、とメディアなんかに言われていたわけです。
横並びの考え方とかやり方がお客様から見るとどこでも同じじゃないかという意識になって沈滞しているんじゃないかなということが、第一印象でした。ですから、買収してから、つくばのカスミの本社に大会議室があるんですけれども、そこにココスの幹部、店長300人くらいを集めまして、引き継ぎをやったわけです。神林さんが、こうこうこういうことでゼンショーさんにやってもらうことになったからみたいな話をされて、それを引き継いで僕が、フード業世界一を目指しているんだと。
自分のことはちょっと棚に上げておいて、これからはファミレスなんか見るな、と。横を向いてやってきたから、同じようになり、魅力が薄れたんだと考えている。だから、皆さんは前を見てわれわれは何を成すべきか考えてほしい。横を見てデニーズが何をやっているとか、そういうことはもうやるなという話をしたんです。そこが出発点です。