これがゼンショー流の成り上がり術だ ゼンショー・小川社長が語る経営哲学(2)

拡大
縮小

そういう中で、吉野家さんがのしたと、昭和のある時期に。牛丼イコール吉野家になったんだけど、それは正確に言うとそうじゃないでしょと。というのが僕の認識なんですね。牛丼というのはもっと、明治維新から始まっていろんな歴史があるし。だけどイコール吉野家と捉えられた時代もあった。

僕はもっと本質的に牛丼というのは、吉野家さんイメージの客層、食べ方以外もあるという確信のもとに始めたわけだから、別に吉野家に対するアンチテーゼとか、そういう考えで始めたわけではないわけですよ。吉野家は吉野家流の店をやっているわけであって、僕は僕流の、まず考えありきで、もっとポピュラーで、もっといろんなTPOで食べてもらえるはずだと。

当時は仮説だったけど。それを物質化したのがお店で、それをもっと物質化したのが店作りで、その後の商品作りで、その後のブランディングで、となっていったわけですよね。いちいち向こうに比べてどうのこうのという発想だったら、率直に言ってここまで来れないですよね。

もっと広い、大きなマーケットの牛丼というものを物質化していこうとして、そのためにどうしたらいいか、というのが立地であり、それからトッピングをはじめとしたいろんな種類の牛丼、キムチ丼であり、三種のチーズ牛丼であり、今回発売したセロリ牛丼だとか、いろんな牛丼を開発してきた。

それはそういう考えを物質化してきたわけですよ。ハンバーガーで言えば、ビッグマックだとか、クオーターパウンダーだとか、いろいろ進化してきましたけど。われわれは牛丼をやろうと、それはそういう考えがあったから、やってきたわけで、それは成功してきたと思っていますよ。

すき家と吉野家は違う業態

――立地については、どういう戦略で。

基本的には、郊外に主要なマーケットはあると。つまり日本全体を見たとき、そこに住んでいる人が、人口として多いわけですから。この郊外マーケットで、ファミリーと一緒に来てもらえるような牛丼屋。そういう立地を探し、地域の人が来やすい立地でやってきた。

――店頭公開されたときは、営業利益率は10%以上ですか。

そこまで行かない。ココスを買収する前の、2000年3月決算で8%くらいですかね、当時吉野家のほうがよかったですよ。まだまだ2000年段階で、吉野家さんが700店、われわれが250店ぐらいで3倍。まだ比率からいうと、われわれは小さくて、しゃくだけど、まだまだ牛丼イコール吉野家の時代だった。

売り上げもまだまだ小さかったですよね。10年間で3500億円前後ですから、ちょうど20倍くらいの成長をやってきたわけですよね。その原動力は、牛丼というのはもっとポピュラーな商品だという、僕の基本的な認識ですよね。思うことから始まる。

――先ほどおっしゃった、テーブルを多く、メニューも多様化する、ますます複雑化してますよね。他方で吉野家はシンプルであることが利益の源泉。多様化とコストのせめぎ合いは、どういう風に折り合いをつけていくんでしょうか。

すき家というのは、一つの業態なんですよ。ケンタッキーフライドチキンというのも一つの業態であるし、もちろん吉野家も一つの業態ですよね。牛丼をメイン商品にしているけども、吉野家の業態とすき家の業態は違うんです。あるいは松屋の業態とも、という風に僕は捉えているんですよ。業態というのは商品と、提供方法と、立地と、微妙なバランスで成り立っているんです。

ご指摘のように、提供方法というところで、テーブルサービスを取り入れ、だけどわれわれは会計システムにおいて、帰り際にレジでキャッシングするという方法を業界で初めて取ったんですよね。何のことはない、通常のレストラン的なフルサービスの形態を、これをクイックでやるというにはどうしたらいいかという課題で、やってきたわけですよ。

吉野家さんで言えば、カウンターで食べ終わって立ち上がったらそこで会計してという、これが一つの業態、タイプオブオペレーションなんですよ。だから適応するような、より品目が多くて、テーブル席があって、そういう中でオーダーリングをして、サービスをやってキャッシングするという行程を全体として、もっとも効率的に無駄なくやるにはどうしたらいいかということで、店舗設計をしてきたわけですね。

それがあるバランスが取れているから、効率がよくて、だけど多品目を短い時間で提供できて、キャッシングができて、というバランスを作り上げたわけですよね。

――2000年7月、あのとき、ゼンショーはまだ170億円の売り上げ、ココスは倍ありますよね。

330億円。

――これをパクろうと。そういうふうにお考えになったのは?

さきほどお話ししたように、世界から飢餓と貧困をなくすために、フード業で世界一の会社をつくると。ひっつめて言えば、そういう考え方でやってきたわけですね。

最初カネがないから弁当屋をやって、それで牛丼屋でスピード展開をやろうと。1997年に店頭公開をさせていただいて、1999年に東証2部、そこからは比較的順調に2001年、東証1部に行くんだけれども、その前におっしゃるようにココス。

次ページココス買収の舞台裏
関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事
トレンドライブラリーAD
連載一覧
連載一覧はこちら
人気の動画
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
【田内学×後藤達也】新興国化する日本、プロの「新NISA」観
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
日本の「パワー半導体」に一石投じる新会社の誕生
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
TSUTAYAも大量閉店、CCCに起きている地殻変動
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
【田内学×後藤達也】激論!日本を底上げする「金融教育」とは
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • シェア
会員記事アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
トレンドウォッチAD
東洋経済education×ICT