これがゼンショー流の成り上がり術だ ゼンショー・小川社長が語る経営哲学(2)
そういう認識に変わってきて、じゃあどうしようかと。面白いことに、豪州の肉を使おうとはまったく思わなかったね。これは人間の恐ろしいところで、当時、僕らもプロだから、豪州の牛肉を年間40万トン、日本は輸入していたけれども、これは「グラスフェッド」で草を食べて育ったので牛丼には使えないと思っていたわけ。全然使えない、ダメだと思い込んでいた。だから、豚しかないと。豚肉を使って代替商品をつくるしかないと。
初めは大きい中華鍋を入れてと。豚肉というのは臭みがあるわけです。だから、煮たのでは臭みが取れないというのはわかっていたわけです。だから、これは炒めるしかないなということで炒めてみたわけです。1時間に最低100食以上安定的に出せないと、すき家では成り立たないわけです。やってみると、とてもじゃないと。時間20~30食。炒めるというのは時間がかかる。
今度は仕方がないから、やっぱり煮てみるかということで、どういうタレならいいか、豚肉のスライスは何ミリがいいのか、牛丼と同じでいいのかとか、そういう段階に入ってきたわけです。それが12月27~28日かな。そこからひたすらタレ。そこで米国旅行をあきらめてキャンセルの電話を入れて、行けないどころじゃなくて、正月も1日4食、豚丼をいろいろなタレで煮て食べる。そういうことをやっていましたよね。それが2004年のお正月。
ようやくでき上がって、2月5日に記者会見をやった。牛丼すき家と看板を出したが、理由はともあれ牛丼が売れなくなった。お客様には申し訳ないということが基本的な気持ちだったし、それをお客様に記者会見を通じて表明することが大事だと。
豚肉は当時、米国産の牛肉より高かったんです。原価が高くなったけれども、牛丼が売れなくなって申し訳ないと謝って、豚丼を代わりに売らせていただきますと。ついては値段を上げますでは筋が通らないから、原価は上がるけれども値段は280円据え置きでやらせていただきますと。というので豚丼の時代に入ったわけです。
2月、3月はよかったんだけれども、5月、6月とちょっと手応えが悪くなってきた。これはちょっと考えなきゃいかんなということで、豪州の牛肉は使えないのかということで、現地にバイヤーをやって、いろいろ調べると、当時、豪州でも国内のスーパーでも、「フィードロット」の穀物で肥育した牛肉の売り上げがドンドン増えていた。オーストラリア人は真っ赤のグラスフェッドを向こうで食べていて、輸出用だけフィードロットをするのは効率が悪い。だからグラスフェッドだと長らく言われていたわけです。
でもそうじゃなくて、豪州の国内マーケットもフィードロットした肉がジューシーでいいというふうになってきていたんですよ。調べてみると、当時の店数でいけば、穀物肥育した牛肉が調達できるという目安がついてきたわけです。だったらということで、その肉で牛丼を作って、最初はダメだったんです。
というのは、米国産の牛肉用の牛丼のタレでまずは煮たんですが、やっぱりだめで、タレを変えなきゃならないなと。だからだめだと言わなかったところは偉いでしょう。自分で言うけれども。タレを変えてみようと。
米国産牛肉を切った理由
――しかし、それは味が変わりますね。
うん。そしてタレをいろいろいじると、だんだん合ってくる、これはおいしい牛丼ができるということで、豪州のフィードロットの肉に合うようなタレの開発と改善をやったわけです。その目安がついて、これならいけるという最終判断が8月、そして9月に「すき家の新牛丼発売」と。安全安心の豪州産の牛肉を使ってということで上市したわけです。
当時、豪州はBSEの発生していない国であり、なおかつ原因と言われた肉骨粉を1960年代から輸入していない。当たり前ですよね。畜産大国だからね。BSEの異常プリオンは英国発で、世界にBSEが拡散したわけですね。まずフランスに肉骨粉を輸出してね。アングロサクソンがあくどいと書いておいて(笑)。