上司に叱責され続けた国立大卒53歳男性の訴え 「発達障害」という言葉すら当時はなかった

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たしかに、辞めてほしいと言いながら、退職理由を自己都合とする会社は悪質だ。ただ、シゲルさんも理由を尋ねるなり、社会保険を再び旅行会社に戻すと提案するなりすればよかったのではないか。私がそう尋ねると、シゲルさんはこう反論した。

「診断を受けてわかったのですが、僕はウェクスラー知能検査の『処理速度』が極端に低いんです。わかりやすく言うと、頭の回転が遅い。それまでも会話についていけず、後になってやっと理解できることがよくありました。このときもおかしいと思いつつ、そんなものなのかなと署名をしてしまいました。こういうところがまさに障害の特性なんです」

このときも後になって会社の対応に疑問を抱き、労働局や弁護士、ユニオンに相談したが、さしたる抵抗もせずに署名したことなどがあだとなり、どこからも色よい返事はもらえなかった。

退職理由が「自己都合」の場合、デメリットも少なくない。失業保険の給付は3カ月以上先になるし、期間も短いことが多い。

このとき、生活費に困ったシゲルさんは生活福祉資金貸付制度の総合支援資金を借りようと社会福祉協議会に行ったが、ここでも「自己都合退社の場合は貸せない」と門前払いされたという(※筆者注:現在は政府が申請事務の簡素化などの方針を出しており、自己都合退社という理由だけで貸し付けを拒まれることはない)。

10年以上にわたってワーキングプアの状態を強いられ、シゲルさんには借金が200万円ほどあった。コロナ禍でクビにされたことで、さらにカードキャッシングで5万円ほどの借金をしなくてはならなかったという。

発達障害の理解が広がり始めた狭間の世代にも支援を

発達障害先史時代――。

では先史以前の人たちは皆、シゲルさんのように苦労したのだろうか。シゲルさんによると「実はそうでもないかもしれない」という。

「鉄道会社に勤めていたとき、50歳を過ぎて、とくに仕事を与えられていない人が何人かいました。1日休憩室にいるだけとか、小説を読んで帰っていくだけといったような人。いま思うと、あの人たちのうち何人かは発達障害だったのかもしれませんね。

会社や社会に余裕があった時代だったんでしょう。僕の世代では、もうそれが許されなくなったということなんだと思います」

シゲルさんの父親にしても、いわゆる“普通”に結婚し、会社員として勤め上げ、現在は年金暮らしをしている。もちろんその陰には、妻や子どもの忍耐があったわけだが、いずれにしても、社会になんらかの居場所があれば、発達障害の診断も必要ないという人も少なくなかっただろう。

シゲルさんが生きたのは先史時代というより、発達障害という概念がとくに必要なかった頃と、発達障害への理解が広がり始めた頃の、ちょうど狭間のエアスポットのような時代だったのではないか。

シゲルさんは9月から初めて障害者雇用枠で働き始めたが、ワーキングプアであることに変わりはない。障害者手帳は3級なので、障害年金の受給は難しいだろうという。

シゲルさんは「最近は就職氷河期世代への支援がありますよね。それと同じように、僕ら『発達障害先史時代』の人間にも何かしらの施策があってもいいように思います」と訴える。

本連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」では生活苦でお悩みの男性の方からの情報・相談をお待ちしております(詳細は個別に取材させていただきます)。こちらのフォームにご記入ください。
藤田 和恵 ジャーナリスト

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ふじた かずえ / Kazue Fujita

1970年、東京生まれ。北海道新聞社会部記者を経て2006年よりフリーに。事件、労働、福祉問題を中心に取材活動を行う。著書に『民営化という名の労働破壊』(大月書店)、『ルポ 労働格差とポピュリズム 大阪で起きていること』(岩波ブックレット)ほか。

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