米米CLUB「女装メンバー」の知られざる40年後 アングラ飲み屋街で抱いた「武道館」という夢

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新宿のロックバーで語る、博多めぐみさん(撮影:今祥雄)

結局、美容師は断念し、博多さんはバイトをしながらバンド活動を続けていった。米米CLUBの人気はすぐに火が付いた。ライブをするたびに口コミで観客が増え、雑誌やテレビにも取り上げられるように。1985年にメジャーデビューし、『夜のヒットスタジオ』『ミュージックステーション』といった人気番組にも出演。全国ツアーが組まれ、チケットはすぐ入手困難になるなど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

だがその一方、博多さんのしたいこととバンド活動に乖離が生じる。米米CLUBのライブは、いわゆるエンターテインメントショー。このままでは、憧れていたロックスターにはなれない、と思い始めていた。そして博多さんが25歳のころ、そのズレからある問題を引き起こし、バンドを脱退することになる。

「自分で自分を追い込んで、精神的にもおかしくなってしまい、あることでみんなに迷惑をかけてしまったんです。詳しくは言えないのですが……それで、辞めざるをえなくなってしまった。これからもっと売れるのが明らかだったし、バンドに残りたい気持ちもあったけど、仕方ありませんでした」

脱退後、博多さんがリーダーとなり、バビロン大王というバンドを結成。メジャーデビューもしたが、満足いく活動はできなかった。「元米米CLUBだからって、米米CLUBみたいな面白いことができるわけなかった。僕には才能がなかったんです」と博多さん。解散を決めた日、バンドメンバーたちで居酒屋に行き、「自分が至らないせいで申し訳ない」と号泣したという。

バイトリーダーにいじめられる立場に…

弾き語りをする博多めぐみさん(撮影:今祥雄)

もうステージには立たない。そう決めた博多さんは、レコード会社に就職。裏方として、バンドのマネジャー的な役割をするように。その後、ベンチャー企業で着メロの企画制作を行うも、事業が下火になり退職。当時すでに40歳を超えており、再就職先もなかなか見つからず、生活のために居酒屋チェーンでアルバイトを始める。

「長く働いてる若いバイトリーダーからいじめられたりするわけですよ。わからないことを質問したら、『何でそんなこともわからないの』って。でも生活がかかってるから、我慢するしかありませんでした」

音楽で食うことはとうに諦めていた。しかし、つらい日々の反動から、何かしら表現活動をしようと、DJを始めた。お金にはならず、完全に趣味だったが、バンドをしていた当時の生き生きした感覚がよみがえった。ほぼ同時期、たまたま訪れた新宿ゴールデン街のバーで、アングラな表現活動を行っている人々に出会う。BONさんや石井さんたちのように、自分たちが本当に好きなことを、夢中で行っている姿に刺激を受けた。

「俺もまた音楽をやらなきゃ!」

悶々とした気持ちを抱えて、BONさんのところに飛び込んだあのときから、実に30年以上を経て、再び突き動かされたのだ。

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