米米CLUB「女装メンバー」の知られざる40年後 アングラ飲み屋街で抱いた「武道館」という夢

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「格好いい!」と興奮した博多さん。ご近所だったBONさんの家に押しかけ、バンドに入れてほしいと直談判し、快く迎えられた。その後、同じく文化学院の石井竜也(カールスモーキー石井)さんがBONさんに呼びかけ、ジェームス小野田さんも加わり、新たに米米CLUBが結成される。博多さんもメンバーとして参画。1982年、20歳のときだった。

石井さんや小野田さんとの出会いは、インパクトが大きかったと博多さんは振り返る。

中央のメガネをかけた女装姿の人が博多めぐみさんだ(写真:博多めぐみさん提供)

「テッペイちゃん(石井さんの通称)は初めて会ったとき、金髪で燕尾服を着ていたんですよ。しかもものすごくハンサムで。小野田さんは、普段はおとなしく温和なのに、ステージに立つと取りつかれたようなパフォーマンスをする人。こんなに強いキャラクターの2人がいるんだから、自分も絶対にとがったことをやろうって考えたんです」

初のステージとなる学園祭ライブで、博多さんが目立つためにしたのが女装だった。高校生のときに髪を伸ばしていたところ、同級生から「女男だ」とからかわれたことを逆手に取ったのだ。その姿に、メンバーたちも「いいじゃん!」と絶賛。当時は女性ギタリストが少なかったため、本当の性別を明かさず、希少性を演出したのも戦略だった。肌が博多人形のようにきれいだったことと、麻丘めぐみさんが好きだったことから、石井さんにより博多めぐみと命名された。

そして本番。観客席はガラガラだったが、米米CLUBが出た途端、たちまち満員に。ライブは大盛況だった。

「ラップもありパロディもあり、過激なパフォーマンスもありました。モンティ・パイソンや天井桟敷、当時流行ったスネークマンショーなどの影響を受けていましたし、米米CLUBはバンドというより、芸術家集団というほうが近かったと思います」

遊びの延長で始まったバンドが、大人気に

米米CLUBと聞くと、「浪漫飛行」「君がいるだけで」など、正統派の楽曲を思い浮かべるかもしれない。しかし実は、「こんなダサい名前のバンドがあったら面白いよね」という、遊びの延長で始まったバンド。色物やコミックバンドに見られることもあったが、人を引き付けるステージ力はずば抜けていたのだった。

その後も米米CLUBはライブ活動を続け、着実にファンを増やしていく。とはいえ、プロを目指して活動していたわけではない。博多さんは美容師を目指し、専門学校に通っていたため、進路をどうするか、バンドを続けるか迷っていた。そんなとき、石井さんにかけられた言葉が、その後を決意させる。

「お前はバンド辞めたらダメだよ、って言われたんです。本当に美容師が好きでなりたいなら、普段からもっと人の髪に触れて、ヘアスタイルをどうアレンジするか考えているはずだよ、めぐみ君はそうじゃないでしょ、って。確かに、僕は好きで美容師になりたいわけじゃなく、手に職をつけたいだけだったと気づきました」

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