ジョブズの偉大な人生がその最期に示した境地 平凡で名もなき人の人生とつつましく釣り合う

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スティーブ・ジョブズとインタビュー撮影のアポを約束して、インタビュアーのブレントン・シュレンダーとNEXTを訪問したが、ドタキャンされたので車を撮影して帰りました。なんか思い出の写真です。1989年6月29日(撮影:小平 尚典)

ビル・ジョイもロング・ナウ協会も、肥大した自我をもてあそんでいるだけではないだろうか。彼らが言っていることは良心的ではあるけれど、その空疎さはドナルド・トランプの大言壮語と似たり寄ったりな気がする。自己とは本来、ベッド・サイズに収まるべきものだ。ベッド・サイズの自己が、半径10mの自分の言葉で考えたことだけが世界を変えうる。

自然であることが何よりも苦手だったジョブズが、死が近づいてくるにつれて自然に振舞うようになっていく。「世界をあっと言わせる」とか「宇宙に衝撃を与える」とか、そんなことばかり考えてきた人間が、いかに自分がつまらないものを追い求めてきたかということに気づく。ビジネスの世界で頂点に立った者が、いまさらながら富や名声のはかなさを知る。祇園精舎の鐘の声ではないけれど、「ジョブズの最後の言葉」とされるものから聞き取れるのは、そんな暮色蒼然とした音色だ。

彼が成し遂げたことは、単にコンピューティングのあり方を変えたというだけでは足りない。それをまったく異次元のものにしてしまった。ムーアの法則を追い風にして、「パーソナル」の意味を「身体の一部分」というところまで推し進めた。その結果、コンピュータは人類がこれまでに出会った最強のドラッグにも等しいものなった。

好悪や功罪は別にして、1人の個人として、やれるかぎりのことをやり尽くしたと言えるだろう。そんな1人の人間が、この世で自分が成したことはみんな無価値であるという場所にたどり着いた。死に至る病を得たジョブズが最後にたどり着いたのは、まさにベッドの上で身動きもままならない自分だった。その自己は、あまりにも非力で卑小で無用だった。

「本物か偽か」を超えるジョブズ最後の言葉

病床(sick bed)で人が考えることはごくわずかだ。人生とは何か。死とは何か。誰もが例外なくたどり着く場所に、彼もまたたどり着いたわけだ。ネット上を亡霊のようにさまよっているジョブズの最後の言葉。それは本物かフェイクかを超えて真実を感じさせる。

何年か前の夏の日、仲間と川のほとりでキャンプをした。翌朝、早くに目が覚めて1人でテントを抜け出し散歩に出かけた。あてもなく灌木の茂みのなかを歩いていくと、アヒルほどの大きさの鳥の死骸を見つけた。肉はほとんどなくなって、骨と羽根だけが元の姿をとどめている。

人間が1人だけで完結した生き物なら、死んだ仲間を弔うことはなかっただろう。死骸はその場に放置して、朽ち果てるに任せておけばよかったはずだ。ところがどうしたわけか、われわれの祖先は1人では完結せずに、誰かとともに生きることを始めた。

ともに生きてきた誰かが、ある朝動かなくなっている。手を触れてみると冷たい。その冷たさを、われわれの祖先は「悲しみ」として感受した。昨日までともに駆けたり笑ったりしていたものの唐突な静まりを「寂しい」と感じた。

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