時は1938年にさかのぼる。デヴィッド・パッカードと新婚の妻がパロ・アルトに入居する。その納屋にデイブの友人、ビル・ヒューレットが住み着く。2人はパッカード家のガレージを工房として、最初の製品である低周波発信機を作り上げる。彼らが創業したヒューレット・パッカード(HP)は、1950年代に計測器メーカーとして急速に発展していく。いまやIT企業の老舗として知られる会社の歴史は、こうして始まった。
その伝説的なガレージを訪れる。母屋は2階建ての素朴なレンガ造りで、緑色の屋根が落ち着いた雰囲気をたたえている。『赤毛のアン』にでも出てきそうな、いくらか古風な感じの建物である。細い通路の奥に有名なガレージを見ることができる。建物の前に「シリコン・バレー発祥の地」という看板が立っていて、合衆国内務省が管理していると書いてある。なるほど。これはもう正史と言っていいだろう。
シリコン・バレーの観光スポットになっているらしく、たくさんの人がやって来て家の前で記念写真などを撮っている。ジョブズの実家の孤独なたたずまいとは、ずいぶん趣が異なる。世界有数の金持ちにして超有名人となったあとも、ジョブズにはどこか孤独な影がつきまとう。そこが彼らしくもあり、いまもなお多くの信奉者を生み出している要因なのかもしれない。
ジョブズの名前と顔が消えることはないだろう
ジョブズの最後の言葉とされるものがネット上に出まわっている。本物なのかフェイクなのかわからない。個人的にはどちらでもいい気がする。こういうかたちで彼が生き続けていることが面白いと思う。この先も長く、ぼくたちの世界からジョブズの名前と顔が消えることはないだろう。彼は亡霊のように世界に取りつき、あらゆる場所に姿を現す。
自然であることが何よりも苦手だった。誰もが普通にやっていることが、彼には不可能に近いほど困難だった。普通のことを自然にやるために、世界をひっくり返してみなければならなかった。惑星サイズにまで肥大した彼の自我は、いつも孤独で孤絶していた。クローズドしたシステムのなかには、自分以外のものは入らない。そんな自己との格闘に、ジョブズは生涯の大半を費やしたようにも見える。
サン・マイクロシステムズの元メイン・スタッフで、一時期はジョブズの会社NEXTに投資していたこともあるビル・ジョイの有名なエッセイに、「なぜ未来はわれわれを必要としないのか(Why the future doesn’t need us.)」というものがある。このなかで彼は、近い将来にロボット工学、遺伝子工学、ナノテクノロジーといった強力なテクノロジーが人類の生存を脅かすようになるだろうと警鐘を鳴らしている。10年ほど前の論文だが、現在のAI脅威論につながるもので、亡くなったスティーブン・ホーキンスをはじめ、ビル・ゲイツなども同様の懸念を表明していた。