17歳娘を殺された父が15年後もブログを綴る訳 未解決事件が13年後に犯人逮捕、無期懲役確定

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ブログ全盛の時代からスマホやSNSの時代に変わった。それでも変わらない想いがある
故人が残したブログやSNSページ。生前に残された最後の投稿に遺族や知人、ファンが“墓参り”して何年も追悼する。なかには数万件のコメントが書き込まれている例もある。ただ、残された側からすると、故人のサイトは戸惑いの対象になることもある。
故人のサイトとどう向き合うのが正解なのか? 簡単には答えが出せない問題だが、先人の事例から何かをつかむことはできるだろう。具体的な事例を紹介しながら追っていく連載の第3回。

2004年に発生した殺傷事件。そこから生まれたブログ

死後にその人のためのサイトが作られることもある。遺族や有志の手による追悼サイトや、生前の作品群をまとめた文庫的なサイトは枚挙にいとまがない。また、死に絡む未解決事件に巻き込まれた家族がサイトを立ち上げる例もある。

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未解決事件の真相究明を願って発信するサイトは、どのようにモチベーションを保ち、何を書いているのだろう? そして、未解決事件が「解決」したとき、そのサイトはどうなるのだろう?

「SA・TO・MI ~娘への想い~」というブログがある。

2004年10月5日昼過ぎ、広島県廿日市の自宅で当時17歳の高校生・北口聡美さんが若い男に刃物で刺されて亡くなった。男は同居する祖母にも重傷を負わせて乗ってきたバイクで逃走。短髪。綿パン。スポーツブランドの靴。現場に多くの証拠を残しながらも、警察の捜査の網にかからず、殺傷事件は未解決の様相を呈していった。

聡美さんの父である忠さんがこのブログを立ち上げたのは2005年12月30日。事件発生から1年以上が経過し、3年目の年を迎える直前のことだった。その日から、事件解決に向けた忠さんの取り組みと心の動きはこのURLに刻まれることになる。

最初は数日置きだった日記はいつしか毎日アップするのが当たり前になり、犯人逮捕に至ったときには累計投稿数が3600件を超えていた。そして、判決が下った現在もなお、毎日更新を続けている。

当時40代半ばだった忠さんはもう還暦を越えた。聡美さんの同級生も30代になっている。時代と事態が移ろうなか、忠さんは何を感じ何を残していったのか。ブログを最初から追いかけると、見えてくることがある。(ブログの引用は改行を除いて原文ママ)

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