指示され祖父母刺殺、17歳少年の苛酷な生活 社会に訴える「一歩踏み出す」ということ
「大人に対しては、疑う心しかありません。自分(少年)に対して得なことを差し出してくる時は、その後、相手にはもっと大きな得があり、そのための小さな損をしているとしか考えられない」
2014年、埼玉県川口市で祖父母を刺殺し、金を奪ったとして強盗殺人罪に問われた少年(事件当時17歳)は、裁判で大人に対する絶望的なまでの不信感をあらわにした。幼いころから母親らに金を得るための道具のように扱われ、虐待を受け続けてきた。
裁判を機に少年が育ったあまりに過酷な境遇が明らかになると、複数の大人が支援を名乗り出た。少年は支援者に感謝しながらも、裁判や手記では「人を信じて裏切られ、傷つくのが怖い」「どうせいつか関係が切れるなら、今壊したほうがいいという破壊衝動に駆られる」などと胸の内を語った。長く続いた虐待は、少年から人を信じ心を通わせることの喜びを奪っていた。
少年が育った境遇の悲惨さ
少年は埼玉県内で生まれ、10歳のときに両親が離婚し母親に引き取られた。毎日のようにホストクラブに通った母親は、ホストを追って家を出たきり1か月間帰ってこないこともあった。
母親がそのホストと再婚すると、少年は両親に連れられ、各地を転々としながらラブホテルに泊まり、生活費が尽きるとホテルの敷地内にテントを張ったり野宿したりする生活が2年以上続いた。家も住所もなく、小学5年からは学校にすら行っていない「居所不明児童」だった。
少年はその間、両親から身体的、心理的、性的、ネグレクト(育児放棄)の虐待を受け、親戚に金の無心を繰り返しさせられていた。16歳で義父が失踪すると少年が塗装会社で働き家計を支えたが、すべて母親の遊興費に消えた。
母親の命令で給料の前借りを繰り返したが、それ以上、前借りができなくなって金が尽きると、祖父母を殺害して金を奪うよう母親に指示され、事件を起こした。
私は、さいたま地裁での裁判員裁判で少年が育った境遇の悲惨さを知って衝撃を受け、当時、拘置所にいた少年と面会や手紙のやり取りを始めた。