国道59~100号がどう探しても見当たらない訳 番号のルーツをたどればその理由が見えてくる
ただし、これは国土が長方形に近く、計画的に道路網が作られていったからこそできる付番法。日本のように国土が細長いうえ、複雑な地形に沿って道ができていった国では、規則的な方式はとりにくいわけだ。したがって日本と条件の近いイタリアの高速道路も、やはり規則性のない付番になっているという。
なお、翌1953(昭和28)年には144路線が二級国道として指定されたが、この際に用いられた番号は101号から244号。つまり一級国道は1~2桁、二級国道は3桁と明確な差をつけたということだ。
このときには青森から順に国道番号がつけられ、鹿児島まで南下したあとに北海道へ戻るという順序が採用された(当時の沖縄はアメリカ統治下)。そして以後、ほぼ10年ごとに約50本ずつの国道が追加されていったが、そのときは北海道から順に南下する方式で付番された。
だが、いまや国道番号は入り交じっており、もはやほとんど規則性が見えない状態になっているのだとか。
国道に残る欠番
1959(昭和34)年と1963(昭和38)年には、二級国道の一部が一級に格上げされ、国道41号から57号が誕生。1972(昭和47)年の沖縄返還の際には、琉球政府道1号だった道が国道58号となり、ここで二級国道は打ち止めとなった。そのため、59号から100号までは現在も欠番のままなのだそうだ。
二級国道が一級国道へ昇格したことでできた欠番は、多くの場合、のちに国道昇格した路線で埋められたという。例えば名古屋~富山間を結んでいた国道155号は、1959(昭和34)年に国道41号に昇格したことでいったん欠番となったものの、1963(昭和38)年に愛知県常滑市~同弥富市を結ぶ道が国道155号に指定され、穴埋めがなされている。
こうして穴埋め作業も行われたようだが、東北地方にあった109~111号と、九州にあった214~216号は、2桁国道に昇格したあとの穴埋めが行われず、現在に至るまで欠番状態。とはいえいまでは一級国道・二級国道の区別も撤廃されたため、欠番が埋まることはもうなさそうだと佐藤氏は予測している。
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