国道59~100号がどう探しても見当たらない訳 番号のルーツをたどればその理由が見えてくる

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現在、日本には507号までの国道が存在しているが、地図を見るとこれはどうやって決まったのかと首をひねりたくなるような、妙な順序で並んでいる。例えば国道409号は東京アクアラインを含む道だが、その次の410号は千葉県の山間を行く頼りない道、411号は八王子から山梨へ抜ける山岳道路で、一貫性というものがまるで見えてこない。
さらにいえば、国道にはかなりの欠番がある。国道59号~100号、109~111号、214~216号は、日本のどこを探しても存在しない。そうしたことを調べていくうち、いつしか国道趣味にハマっていたわけだ。国道をはじめとした道路番号の謎も、ほかの番号同様なかなかに奥が深い。(64~65ページより)

いかにもマニア心をくすぐる対象だということになるのだろう。とはいえ江戸期まで、主要な道路の大半は「東海道」「奥州街道」など国有名詞で呼ばれていた。

主要道路の数も多くなかったのだから、当然ではある。しかし明治期に入ると、東京からすべての道路を一元的に管理する中央政府が誕生したことで、全国道に番号を振る必要が生じた。

明治の国道は、一八八五(明治一八)年に制定が始まり、最終的に61号までが指定された。明治国道の特徴は、東京を起点に、各地の港湾を終点にしたものが多い点だ。国道2号は大阪港、国道3号は神戸港、国道4号は長崎港、国道5号は新潟港といった案配だ。ほぼすべての国道が東京起点というのは中央集権意識の表れ、港が終点であるのは海運が重要視されていた時代背景によるものだろう。(66ページより)

ただし1919(大正8)年には国道の再編成が行われ、番号もすべて振りなおされた。このときには演習場や鎮守府に向かう軍事目的の国道が指定され、特徴は「特○号」の番号が付与されていること。しかし終戦間際に指定された路線は、物資不足などのため整備がほとんどなされず、名目のみに近い路線もあったそうだ。

現代の国道

現在使用されている国道体系がスタートしたのは1952(昭和27)年で、栄えある「国道1号」に選ばれたのは、東京の日本橋から大阪の梅田までを結ぶ道。ちなみに国道の起点は徳川家康の時代以来ずっと日本橋だが、国道1号の終点は時代によって変わっているという。

明治時代には開港地である横浜、軍国主義の高まった大正時代には伊勢神宮、戦後は太平洋ベルト地帯の諸都市を結んで大阪が、それぞれ終点となった。

道路に番号をつける際にはいろいろな方法があり、例えばアメリカの高速道路では、南北方向に走る道には奇数番号を西から東へ順に振り、東西方向に走る道には偶数番号を南から北の順で付番している。ドイツのアウトバーンも、これと類似の方式であるようだ。

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