ノーベル経済学賞候補が、いま考えていること  世界的第一人者ブランシャールのマクロ経済学

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それがさまざまな紆余曲折を経て、各国政府の財政に関して新自由主義的な自己責任論を主唱する巨大官僚組織、いま風の言葉で言えば「財政警察」になってしまっていたといえば、スティグリッツやブランシャールの気持ちはわかるだろうか(Prakash Loungani,”The Frenchman Who Reshaped the IMF,” The Globalist, October 2, 2015を参照)。

そして、リーマンショックの最中に、ブランシャールはそのIMFのエコノミストに就任することになる。その背景には、専務理事ドミニク・ストロスカーンの誘いがあったといわれている。ブランシャールはこのとき、フランスの大学時代に考えていたことを思い出していたのかもしれない。

IMFでの「エレガントな激闘」

ブランシャールの予想どおり、IMFは新自由主義の巣窟であり、また、予想以上に官僚的な縄張りが張り巡らされていて、その論争は「塹壕戦」のように消耗するものであったと述懐している。専務理事の後ろ盾があり、上級職を務めるエコノミストであっても、初期は連戦連敗であったようだ(前出、The Washington Postの記事を参照)。

しかし、彼の知的で率直な物言いは、その後もずっと続けられ、そして世界経済が直面する困難には背に腹を替えられない状況があった。ブランシャールの粘りにより、アイスランドやキプロスの資本規制実現を勝ち取り、それを皮切りに、危機に陥った国に必要な規制を認めさせるための小さな勝利を徐々に積み重ねていく。

ストロスカーンの失脚の後、フランス国内で緊縮派として知られていたクリスティーヌ・ラガルドが後任に就いたが、当初は「財政警察」的だった彼女も、次第にブランシャールの分析と方策を頼るようになっていった。

ブランシャールは、持ち前の明晰さと率直さを武器にしつつ、普通の経済学者ならば嫌がる政治的な説得を終始いとわなかった。おそらく氏の性格を考えても、政治的調整は苦痛以外の何ものでもなかっただろうと推察するが、精神科医である母の「私は導師でも魔術師でもなく、職人であり、やるべきことをやるだけです」との言を自身の行動に重ねて、淡々と行っていたようである(前出、The Washington Postの記事を参照)。

その継続的な積み重ねは、半ば揶揄的な表現ではあるものの、「優しくなったIMF」と専門家から驚嘆の目で見られるほどの変革を実現した。

その驚きの大きさは、私も実感を伴って覚えているが、専門家の誰しもが不可能なことだと考えていた証左でもあろう。同門のノーベル賞経済学者の2人、ジョージ・アカロフからは「彼はまさに正念場に世界が必要としていた人物だった」、スティグリッツからは「オリヴィエはIMFを新しい考えに解き放つうえで重要な役割を果たした」と称賛を送られている。

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