「ソニーらしさ」の変貌を映す経営者の目立ち方 吉田社長は新しい時代のカリスマとなれるか
ソニー復活の牽引車で今や主力事業となったスマホ用のカメラ向け画像処理半導体「CMOSイメージセンサー」も、諸先輩が今から半世紀も前(1970年)にまいた(開発を始めた)CCD(Charge Coupled Device=電荷結合素子)イメージセンサーという種の品種改良を重ね、1996年からCMOS(Complementary Metal Oxide Semiconductor=相補型金属酸化膜半導体)イメージセンサーという新種の開発に着手した。そして、今、収穫期を迎え豊作を享受しているようなものである。
経営の安定を図るうえで立役者となった金融事業も、1979年8月、アメリカのプルデンシャル生命との合弁で、ソニー・プルーデンシャル生命保険として設立されたことが発端となり、1999年に損害保険、2001年に銀行へと業容を拡大してきた。これも創業者の盛田昭夫氏から相続した遺産をベースにして成功したと言えよう。
2008年9月に起こったリーマンショックの後、景気悪化と円高というマクロ経済の変化に加えて、ヒット商品不在となりソニーは赤字に苦しんだ。
救世主なき同社の凋落を見て、社内外から「ソニーらしさ」の消滅が再び叫ばれるようになった。この失望感に拍車をかけたのが、2009年4月から2012年4月までソニーの社長を務めたハワード・ストリンガー氏が、赤字が続いていたにもかかわらず高額報酬を受け取っていたという矛盾だった。
2018年1月、平井氏はコミュニケーションロボット「aibo(アイボ)」を蘇らせ、「ソニーらしさ」の復活を社内外に印象づけたが、本当に「ソニーらしさ」は復活したのだろうか。
1969年、ソニーは「出る杭を求む」という求人広告を打ち、話題になった。その広告文には、「ウデと意欲に燃えながら、組織のカベに頭を打ちつけている有能な人材が、われわれの戦列に参加してくださることを望みます」と書かれていた。
この募集を受け、多くの「出る杭」が応募し中途入社した。彼らは「ソニーらしさ」を発揮し、ソニーの成長に大きく貢献する。が、その後、辞めていく人も多かった。多士済々のソニーには、優秀な技術者だけではなく、「外資系企業への人材供給源」と言われるほど、グローバル感覚に富み行動的な知る人ぞ知る有名人がいた。当然、外資系企業やそこから依頼を受けたヘッドハンティング会社が「ソニーの雄」を鵜の目鷹の目で狙っていた。
出る杭たちが切磋琢磨するソニーの企業文化
こんなエピソードがある。出井氏から直接聞いた話だ。
中途採用者ではなかったが「出る杭」だった出井氏がフランス・パリに駐在していた頃、ある外資系企業からスカウトの声がかかった。
ドイツ出張からの帰路、パリに立ち寄った大賀氏が「出井君、転職を考えているだろう」と釘を刺した。
出井氏が「どこから聞いたのですか」と尋ねると、
大賀氏は笑みを浮かべながら、
「私にもその会社から誘いが来ているよ」と答えた。
出る杭が集まれば何が起こるか。激しい社内競争である。それには、足の引っ張り合いが起こるのも人間組織というもの。
ある中途入社組で退職したソニーOBは、内情についてこう話している。
「目立つと、陰口がすごく、スポイルされてしまいます。(江崎玲於奈さんのような)ノーベル賞受賞者とかは別ですが」
出井氏も出る杭たちが切磋琢磨するソニーの企業文化をこう例えていた。
「ランチに行こうと誰かが提案しても、1人は和食、ほかの2人は洋食、中華がいいと言い出す。人というものは、3人集まれば対立するものです」
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