「トキワ荘」伝説の漫画家を多数輩出できた理由

手塚も石ノ森も赤塚もここで切磋琢磨した

寺田は、空いた部屋に若い漫画家志望者を入れ、切磋琢磨していきたいという思いがあったという。入居にはメンバーによる厳正な審査もあったというから、単なる若手ではなく、将来性のある漫画家を求めていたようだ。

トキワ荘における漫画家の集住の要因は、彼らにとって憧れだった手塚の存在はもとより、寺田のリーダーシップによるところも大きかった。

トキワ荘ならではのカルチャー

また、トキワ荘には学童社をはじめ、居住者が連載を持っている漫画雑誌の編集者が数多く出入りしており、彼らとのコミュニケーションを図る点でも、そこから仕事につなげる点でも、トキワ荘は機能していた。

「集住」という意味では、戦前の文士村や芸術村などの延長線上にあるが、トキワ荘の重要なところは、駆け出し、新人の漫画家が集まったところにある。手塚は当時から別格として、トキワ荘に集まった漫画家は、それこそ生活困窮と対峙しながら、相互扶助を行い、自らの夢の具現化を図ったのである。

もう1つトキワ荘には、依頼された急ぎの仕事を、手が空いている者がアシストできるという機能もあった。漫画家は連載を多く抱えたり、締め切り前に火急の作業が求められたりした場合、アシスタントが必要な業種であり、トキワ荘でも誰かが忙しいときには、手の空いた者がアシスタントとして手伝っていた。

1人での制作を基本とする小説や絵画では、このような共同作業は考えにくい。映画も共同制作であり、とくに戦前から松竹大船撮影所の周辺には、映画監督や俳優が集住したことで知られているが、それぞれが決められた役割を担う範囲での共同作業だ。一方で漫画は、個人作業という基本線があり、それを手伝うことが可能な表現である。

別の角度から注目すべきなのは、『墨汁一滴』という肉筆回覧誌の存在だ。いわゆる同人誌で、石ノ森章太郎が中学時代に近所の仲間たちと「東日本漫画研究会」を結成した際に、漫画の研究誌として『墨汁一滴』を構想した。

しかし、すぐに漫画研究という方針を転換し、すでに漫画雑誌に投稿して活動している人とのネットワーク構築に利用することにした。『毎日中学生新聞』『漫画少年』に投稿していた青森県の3人を手始めに、『漫画少年』誌上でも会員を募集するようになる。

石ノ森が『墨汁一滴』に描いた漫画のクオリティーの高さから、創刊号は『漫画少年』編集部や手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄などを巡ったという。

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