「理系は文章がヘタ」と思う文系人間の勘違い “正確すぎる文章"は時に社会の反発を招く

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ある日、Twitterで、とあるつぶやきがすこし話題になっていました。「たった一ヶ月でこんなに寒くなった」という旨の言葉に、10月と11月の気温データが画像で添えられた投稿です。

たしかに、その気温データをパッと見る限り、日本は一ヶ月でずいぶん冷え込んだように思えました。しかし、よく確認してみると、10月は朝の気温データで、11月は昼過ぎの気温データ。一方は冷え込む朝で、一方はいちばん暑くなる昼過ぎという、条件をそろえているとは言い難い形での比較でした。

これについて「条件はそろえて論じるべき」という内容の反論がつき、またそれに対して「人の感じ方の話をしているだけ」といった再反論がされ、次第に周りからもいろいろ意見が寄せられる事態に。

件の投稿は、ちょっとした論争の種になっているように見えました。

「正確さを求めすぎる」のも考えもの

あの投稿について、正しいとか間違っているとかを、今ここで言いたいのではありません(わたし個人の感覚としては、擁護する気持ちも、物申したい気持ちも、両方わかります)。

気になったのは、ネット上のコメントにも、リアルでの友人たちの感想からも見られた、苦言を呈す側に対する「これだから理系は空気が読めない」という意見です。

学術的・科学的な観点から言えば、条件をそろえて比較すべきという方が正しい意見でしょう。そうすれば、より正確にものごとを捉えられますから。

ただ、コミュニケーションという観点においては、できる限りの正確さを求めることが、絶対的にいつでも正しい……とは限らない面があります。

ものごとを前に進めるため、きっちり合ってはいない大まかな意見に、一旦はうなずく。理解を得るため、あえて正確さをいくらか削って説明をする。そんなふるまいが、現実の社会では時折求められます。

そして、そういった適度な妥協こそが社会を回す潤滑油である、なんて考えも、この世の中にはあるように思えます。正確さを求める指摘に対し、「空気が読めない」との意見が寄せられたという事実が、ある意味、そういった考えが世にあることを証明しているかもしれません。

次ページ適度な「妥協や許容」がないと世の中は動かない
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