「理系は文章がヘタ」と思う文系人間の勘違い “正確すぎる文章"は時に社会の反発を招く
正確さが評価されない。学んできたものと、現実で求められるものが違う――という話は、文章においても言えることです。文章で記される内容そのものもそうですが、なんと、その書き方においても、です。
これはとても重要なことなのですが、理系界隈で良いとされる文章の書き方と、それ以外の場所で良いとされる文章の書き方は、かなり別物です。
そして、「理系には文章力がない」という、世の中に広がる誤った通説の原因は、まさにここにあります。……そう、あえて言い切ってしまいますが、理系に文章力がないなどという認識は、間違っているのです。
文章力がないのではありません。ただ、その使い方やタイミングが適切でないだけです。
文章には、大きく分けてふたつの種類があります。
と、
です。
理系は「曖昧な表現」を許さない
理系の人間は、前者の『理解しやすい文章』ではなく、後者の『誤解しにくい文章』の技術を磨く人種です。これはどうしてかというと、理系が理系として書く文章の数々においては、誤解されうる曖昧な表現が許されないからです。
ある文章を読んだ人が、「この文章の結論、みんなは◯◯だって言ってたけど、俺は△△だって思う。あ、考えようによっては□□って解釈もありだなあ」なんて言ったとしましょう。
これが小説や詩ならば、なにも問題はありません。人によって受け止め方が違う、個人個人が自由に解釈できるというのは、文学作品の持つとてもたいせつな機能のひとつです。
しかし、科学論文や技術書、手順書であったならどうでしょう。――どう考えても、望まれる事態ではありませんね。Aという薬品とBという薬品、どちらを先に投与すべきかは読者の受け止め方次第!……なんて論文や手順書、使い物になりません。誤解を起こしうるのなら、有害ですらあります。
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