「一国二制度」の裏付けとして、中国は香港基本法を制定した。基本法は香港の「ミニ憲法」といわれるが、その解釈権は中国の全人代常務委員会にあると明記されている。そして同法の23条には「国家安全を脅かす行為を禁止する法律を香港政府が自ら制定すること」が規定された。これが、今回の事態の伏線になっている。
一方でアメリカも「中国であって中国でない」場所として香港を位置づけるため、1992年に「香港政策法」を制定。中国への返還後も一定の自治を条件として香港を大陸とは別個の関税区として扱うこととした。通商や投資、住民へのビザ発給に対して中国本土とは別扱いしてきた。また、香港の企業には適切な保護を前提としてアメリカの持つ機密技術へのアクセスも認めてきた。
中国が直接輸入することができないハイテクも、香港経由であれば手に入るわけだ。中国がアメリカの安全保障にとって大した脅威と思われていなかった時期には、企業活動を優先してこうした取引にも目をつぶってきたということだろう。
中国も、自国の国力に自信が乏しい時期には香港の扱いに慎重だった。2002年に香港政府は基本法で定められた国家安全法の立法化を図ったが、立法会での採決直前に50万人が参加した反対デモが発生したために法案は撤回された。この時期には、まだ中国政府も香港の市民感情と国際社会の目に遠慮していた。
習近平政権のもとで強硬化
しかし、2012年に習近平氏が共産党総書記に就いてからは、香港に対する中央政府の姿勢はどんどん強硬になっていく。2014年に行政長官の選挙制度をめぐって市民が大規模な抗議デモを展開した「雨傘運動」や、2015年に中国政府に批判的な書籍を扱う書店の関係者5人が中国本土に拘束された「銅鑼湾書店事件」を経て、「一国二制度」の内実には海外からも厳しい目が向けられるようになった。
こうした事態を受け、アメリカ議会では香港政策法の見直しを求める声が上がり始めた。「逃亡犯条例」改正案への反対デモが拡大した2019年6月には、同法に代わる法案が提出された。10月に「逃亡犯条例」が撤回された後も審議は続き、11月27日にトランプ大統領が署名して「香港人権・民主主義法」として成立した。
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