年収がいくら増えても「幸せ」には直結しない訳 10万円と1000円のワインの味は100倍違うのか
満足は幸せに関係ない、と言っているわけではありません。幸せを構成する一部分にすぎない、と言っているのです。収入が極端に低かったり、家がなくてインターネットカフェで寝泊まりしていたり、日々の食事に困っていたりすれば、当然それは幸せな状態とは呼べません。
満足度が低くても幸せなら、福祉なんていらないじゃないか、生活保護の受給額も下げればいいじゃないか、というのではありません。逆です。格差が拡大している今、貧困にあえいでいる人たちに手を差し伸べることは、むしろ急務です。
幸福度が頭打ちになる3つ目の理由は、私たちの心理にひそんでいます。それは、先ほどのカーネマンが提唱した、「フォーカシング・イリュージョン」と呼ばれる、心の特徴です。
フォーカシング・イリュージョンを日本語にすると「焦点化の幻想」、つまり間違ったところに焦点を当ててしまう、という意味です。カーネマンは次のように述べています。
「人は所得などの特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないにもかかわらず、それらを過大評価してしまう傾向がある」
私たち人間は幻想に踊らされ、焦点を当てるべきところを間違えがちである。そう警告しているのです。
「○○なら幸せ」は不幸の始まり
日本人は他の先進国と比べ「もう少し年収が増えたら幸せになれるのに」と、間違った幻想を抱きがちというアンケート結果がでています。その意味では、日本人はフォーカシング・イリュージョンに陥りがちな国民と言えるかもしれません。
同じことは、お金以外にも言えます。近年、婚活が流行っているようですが、婚活にいそしむ人の中には、「結婚できたら幸せになれるのに」と考える人が多いと思います。これもフォーカシング・イリュージョンの典型例でしょう。
カーネマンは、「ヘドニック・トレッドミル」という表現もしています。私はこの言葉を「快楽のランニングマシン」と和訳しました。
つまり、ニンジンを目の前にぶら下げられながら、ランニングマシンで走っている状態です。走っても走っても、ニンジンを手に入れることはできません。
こうした「○○なら幸せなのに」という考え方は、人間を不幸にします。裏を返せば、「○○でないなら幸せではない」すなわち「〇〇でない今の自分は幸せではない」ということになるからです。つまり、今の自分はだめで、別のほかの状態はいいはず、という深層心理が根底にあるからです。幸せに特定の条件をつけるのは、不幸の始まりなのです。
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